高崎健康福祉大高崎の監督室から外に出ると、ことわざが書かれた大きなボードが見える。青柳は毎回の練習前、その言葉を目に焼き付けて、グラウンドに足を踏み入れる。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

自らを戒め、練習を開始する。創部10年目の11年夏に甲子園に初出場。春夏で計6度甲子園に出場した。だが、「機動破壊」で全国区に押し上げた今でも、創部当初の部員たちの姿を脳裏に刻んでいる。自転車に乗る部員たちが、かごに置いた野球バッグの校名を他人に見えないように、自分の体に向ける姿だった。

青柳 弱いというのは誇れないんです。ショックでしたし、かわいそうだなと。誇りを持って、やらせてあげたいと思った。

就任当初は練習試合を申し込めば、「女子校でしょ?」と相手にされず、試合を組むのにも苦労した。「嫌な思いばかりで、肩身が狭かった」のは選手たちも同じだった。

甲子園出場を逃し続けた9年間は、周囲の反応や雑音ばかりを気にした。それが甲子園に出た瞬間から消えた。「今まで抱えていたものが、スーッと楽になったんです。1回行ったら、開き直れた。一気に考え方も変わった」。

甲子園が、批判への抵抗を強くさせた。気になって仕方なかったネット上の批評も、今では「普通に見られます。理想の打順とかも書かれていて、『おっ、これいいな』なんて思うこともあります。あんなに嫌だったのに、不思議ですよね」と笑った。

紆余(うよ)曲折の野球人生だが、全てをプラスに変えた。大学卒業後は就職先の軟式野球チームでプレー。3年間だったが、軟式の戦術を硬式にも応用する。無死三塁や1死三塁からのヒットエンドランは、軟式で学んだ作戦だった。

コストカットを重視された会社員時代の経験から、“無駄のカット”にも力を入れる。2つの寮は下級生と上級生で分類する。「1年生が先輩に気を使って、生活に慣れるのに時間がかかるのは無駄ですから」。上級生の部屋割りも基本は部員同士で決め、気の合った仲間との生活で、余計なストレスを軽減する。

青柳 昔のように厳しい先輩に教わるのもいいですが、今の子は慣れてませんから。高校はたった3年。野球どころじゃなくなるのは良くないなと。自分のことは自分でという習慣を身に付けてほしいんです。

青柳はチャレンジする気持ちを尊重する。「野球は失敗するスポーツ」が持論で、失敗することを恐れた選手には厳しく言葉を掛ける。「1度失敗すると、ちゅうちょと萎縮が起こる。盗塁もそうですが、それが一番ダメ。先がなくなってしまいますから。失敗しても恐れずにやることが大事です」と話した。

この冬から、新たなトレーニング「初動負荷」も本格的に導入した。専用の器具を取り寄せ、専用ルームを用意。部長の生方が指導法を学び、トレーニングの1つに取り入れた。12人のスタッフの飽くなき探求心も、強化に直結する。

昨春のセンバツで、川端健斗、田浦文丸(現ソフトバンク)の好投手を擁する秀岳館(熊本)に2-9で敗れた。6度目の出場で初の大敗だった。「チーム力の差を痛感したし、自分もああいうチームを作りたいと思った。我々にとって、新たなスタートになる試合」。青柳は新たな“破壊”を頭に巡らせ、スタッフ12人の力を結集する。(敬称略=おわり)【久保賢吾】

(2018年3月13日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)