タヌキに化けたことがある。

「タヌキ? そんなんではないわ。あのときは正直に言うたまでじゃ」

86年春に池田(徳島)は決勝で宇都宮南(栃木)と対戦した。雨で1日順延となって、決戦前日の監督取材で蔦文也はタヌキになった。

報道陣を前に、相手エース高村祐の投球フォームにクセがあると話しだした。「ストレートかカーブか、分かってしもうた。腕が、高く上がったときはカーブ、低いときはストレートじゃ」と明かしたのだ。

敵の秘密を知ったのなら隠しておくものだろうが、蔦はあえて公言した。公言したから、宇都宮南関係者も早晩知る。蔦は、それを狙っていたのか。

敵を知り己を知れば百戦危うからずと、孫子の兵法・謀攻編にある。蔦はそのへんには詳しいが、さらに知り得たことを敵に知らせた。結局、池田打線は1本塁打を含む15安打で7点。高村を攻略し、7-1でセンバツ2度目の優勝をもぎ取っている。

「まあ、正直ダヌキっちゅうところやったかもしれんな」

この話には落ちがついていた。

池田と宇都宮南の対戦を、プロ野球阪急の代打本塁打王で現役引退していた高井保弘が見ていた。相手投手のクセを見抜くことにたけていた高井が指摘している。「高村投手はバックスイングに入ったとき、左手のグラブが高く上がればカーブ、肩の線より低い場合は真っすぐ系とまるわかりだ。蔦監督は腕の高さがどうのと言っていたらしいが、グラブの高さのことだろう。腕とは言ったが、カギであるグラブのことは最後まで言わなかったはずだ。グラブのことが、本当の企業秘密だったんじゃないか」。

グラブの件はとうとう聞き逃した。聞いても「そんなん知らん」と言われるのが関の山だ。

蔦が真に意図するところは、その言動だけでは分からない。毎年、新入生にやらせた打撃練習もそうだ。85年センバツ4強時主将の宮内仁一は、プロ野球阪神在籍中に池田の1年生だったころを振り返り「最初にバッティングをさせてもらったとき、いきなりレフトの高いネットに当てた。たまげるほど速いマシンの球をホームランしたから、これで認められるかな、と思った」と語っている。

宮内は蔦のめがねにかなったが、単に長打力があるからではなかった。当時のコーチで、蔦の後に監督となる岡田康志は「蔦先生は打球の飛び具合だけを見とんのじゃないと思う。一番注意をしているのは、クセがあるかどうかではないか。クセがない選手でなければ、あとあとついてこれないから」と分析している。

宮内の1年あとに入学してきた梶田茂生は身長が170センチに満たなかった。だが、1年生ながら箕島(和歌山)との練習試合で本塁打を放ってからというもの、なくてはならない存在となる。1番・外野手で活躍し、86年センバツでは優勝投手。蔦は「小さな大投手」と呼んだ。山あいの町で鍛えられた梶田は卒業後、外野手として筑波大で主将を務め、大活躍した日本生命ではヘッドコーチとなり、今も球界の最前線に立っている。(敬称略=つづく)【宇佐見英治】

(2018年3月17日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)