世界緑茶コンテストというものがある。2017年に金賞を獲得した茶の中に「花鳥風月・又兵衛」がある。出品者は株式会社又兵衛。宇治茶の専門店で、14年から横浜市保土ケ谷区天王町に店を構えている。

 代表取締役は堀井恒雄さん(59)。大洋、ロッテで投手として活躍し、コーチや球団フロントとして長くプロ野球界に携わった。ベイスターズが日本一に輝いた1998年は投手コーチとしてブルペンを担当し、大魔神こと佐々木主浩投手へつなぐ継投を支えた。

 金賞受賞品は煎茶と玉露をセットに美しいパッケージで包んでいる。


世界緑茶コンテストで金賞を受賞した「花鳥風月 又兵衛」
世界緑茶コンテストで金賞を受賞した「花鳥風月 又兵衛」

 堀井 関東では静岡や鹿児島の茶が多く、宇治茶専門店は珍しい。私は宇治茶の味を多くの人に広めたいんですよ。海外の人も含めてね。


 百貨店や結婚式場にも納品している。インターネット販売ではヨーロッパを中心に海外からの注文も多い。順調に事業は拡大している。

 しかし、プロ野球界にどっぷり漬かってきた堀井さんが、なぜ宇治茶の販売を手掛けているのだろうか。


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 堀井さんは京都府城陽市の出身で、実家は明治時代から続く宇治茶の栽培農家を営んでいる。店名の「又兵衛」とは、茶畑を始めた初代の名にちなんでいる。


 堀井 私が5代目でね。近所では堀井という名字が多くて、又兵衛は屋号で使われていた。「又兵衛のところの息子、恒雄」とね。


 親戚の多くが、栽培や加工工場などを営み宇治茶にかかわっている。堀井さんは幼少時から宇治茶に親しんできた。3歳の頃から夕食後は玉露を飲んでいたという。

 妹が2人。男は1人とあり、将来は家業を継ぐものとイメージしていた。


 堀井 いなかだから、自動的にそういうものだと思っていた。堀井の家はつぐものだとね。


 大谷高校から大商大に進み、1980年ドラフト2位で大洋に指名された。昨年7月に逝去した父の又重さんは、喜んでプロ球界に送り出してくれた。


 堀井 家業をどうするかという話は出なかったなあ。オヤジは「そのうち戻ってくるだろう」と思っていたんでしょう。


 ロッテで引退した後は、そのままコーチで残った。退団後は知人から台湾での指導者を勧められ、時報イーグルスで2年間、投手コーチを務めた。


 堀井 本当はアメリカに行きたかった。当時、大洋の渉外担当をしていた牛込(惟浩)さんが「マイナーコーチなら入れてやる」と言ってくれてね。でも、給料が安かった。子供も小さかったし、年俸のいい台湾を選んだ。


 最初に家業を意識したのは、台湾球界を辞めた時だった。


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 当時の台湾球界では八百長騒ぎもあり、2年間で日本に戻った。97年はテレビ解説や、知人が社長を務める会社を手伝って収入を得ていた。


 堀井 手伝うといっても名前だけ。本当にお世話になった。テレビ解説も本数は少なかったけど、TVK(テレビ神奈川)などに入れてもらってね。何とか食いつないでいました。


 夏が過ぎた頃から初美夫人と、翌年以降の生活を話し合うようになった。


 堀井 女房と「そろそろ京都に帰ろうか」と話していた。引っ越しの準備も始めようかというぐらいだった。そこに横浜球団から電話が来たんです。


 投手コーチのオファーだった。京都に戻り、宇治茶の生産、加工をする家業を継ぐ計画は先送りになった。

 翌98年は横浜が38年ぶりの日本一に輝いた。堀井さんはブルペンにいて、大魔神ことストッパー佐々木主浩投手につなぐ継投を支えた。


横浜コーチ時代の堀井恒雄氏
横浜コーチ時代の堀井恒雄氏

 2軍も含め2004年まで横浜でコーチを務めた。退団が決まり、再び家業が頭をよぎる。しかし、アメリカ独立リーグに参加する「ジャパン・サムライ・ベアーズ」の投手コーチの話が舞い込んできた。巨人に在籍したウォーレン・クロマティが監督を務めて話題になったチームだ。


 堀井 アマチュアの選手ばかりで挑戦する野球はおもしろかった。優勝した98年と、アメリカで過ごした2005年は楽しかったね。コーチをやっていて、この2年間は思い出に残っています。


 米国での生活。日本茶が飲みたくなってスーパーに行った。


 堀井 これが、まずいんだよね。「カビがはえているんじゃないの?」と思ったぐらいだよ。これがジャパニーズ・ティー、グリーンティーと思われているのか…と。外国の人にもホンマもんのお茶を知ってほしいなと思った。


 この時の思いはのちに生きてくる。


 堀井 アメリカから帰って、今度こそ京都に…と思っていたんだけどね。


 再びベイスターズから声がかかり、スカウトに就任した。編成部長などを経験し、親会社がDeNAになった2011年限りで退団した。

 ここで、ようやく茶の世界に入った。「又兵衛」を開店した。


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 堀井 オヤジも年を取っていたしね。ただ、オヤジは最後まで私に「戻ってこい」とは言わなかった。私が「そろそろ引退したら」と言っても、「じゃあ、誰がやるんだよ」と言うだけ。私も「オレがやる」とは言わなかった。母からは、ずっと「そろそろ戻ってきたら」と言われていたけどね。


 当初は海外向けのインターネット販売だけをする予定だった。だが、事務所として借りた部屋が広かったため、一部を販売用に作った。これが横浜の店になった。


 堀井 天王町(相鉄線)の駅から商店街までの通り道だから、結構お客さんが入ってくれた。


商品を並べる堀井さん
商品を並べる堀井さん

 ヨーロッパを中心に海外からの注文も増えた。百貨店や結婚式場などへも納品している。


 堀井 苦労したのは営業だね。飛び込んでも会ってもらえないからね。営業は女房に任せて、私は契約の段になったら出ていく。契約はスカウトや編成時代に慣れているからね。


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 堀井さんがお茶を入れてくれた。急須に茶葉とお湯を入れ、数分のちに茶わんに注いでくれた。口に含んだ瞬間に味わいが広がった。

 堀井 おいしいでしょう。関東で宇治茶は珍しいし、高級なイメージがあるでしょう。実際においしい部分しか刈り取らないから味はいい。気に入った方は何度も買いに来てくれる。ぜひ、飲んでほしいね。


 外食したとき、最後にお茶を頼む。多くの店ではサービスである。締めくくりの茶に値段はついていない。


 堀井 日本ではお金を払って日本茶を飲む習慣がないよね。コーヒーを頼んだら有料という認識はあるけど、お茶なら無料とね。ただ、日本茶のカフェもできてきたし、今後は多くの人においしい日本茶を楽しんでほしいね。


 父から、先祖から引き継いだ味を世界に広めていく。宇治茶をメジャーにすることが、今の目標になっている。【飯島智則】


 ◆宇治茶「又兵衛」 〒240・0003 横浜市保土ケ谷区天王町1・7・2 ホームページは国内向けがhttp://www.matabay.com 海外向けはhttp://www.tea-of-japan.com