「自分にとって“最後の戦い”が甲子園でできて本当によかった」。阪神の日本一達成から1週間。喜びの余韻が続く虎党、悔しさから立ち直るオリックス・ファンと人それぞれの時間だったのではないでしょうか。そんな中、感慨深そうに話す人がいます。

松本正志さん。64歳。古い高校野球ファンなら誰もが知る名前でしょう。東洋大姫路のエースとして77年の甲子園大会で全国制覇。「バンビ」こと坂本佳一投手擁する東邦高との決勝は今も語り草です。

松本さんは、当時の阪急ブレーブスに同校からドラフト1位で入団。残念ながらプロでは成功とはならず、通算6年の現役生活で1勝3敗。84年限りで現役を引退しています。

阪急からオリックス、さらに合併球団オリックスと、その後、会社名は変わりましたが引退後は用具係という裏方の仕事でここまでチームに貢献。イチロー氏擁する90年代の絶頂期、そして現在の黄金時代をすべて同じ立場で見てきたのです。しかし思うところあって定年まで1年を残し、引くことにしたと言います。

「長い間には、球団内で他の仕事をやらないかと誘われたこともありましたけどね。自分としてはこれ1本でという気持ちだったので。よかったと思っています。やめるのは体が元気なうちにやりたいことがあるので…」

何よりうれしかったのは今年の日本シリーズで阪神と対戦、甲子園でゲームができたことといいます。第3戦から5戦まで行われた甲子園球場で少し話を聞くことができました。

「なんと言ってもボクは甲子園で育てられたわけですからね。自分にとって最後の真剣勝負がその甲子園でできる。これはありがたかったですね」

プロ入り後もオープン戦で甲子園での登板は経験しましたが、やはり、そこは日本シリーズという大舞台。奮い立ったようです。

もっと言えば「大きな舞台は3年連続です」と笑います。リーグ3連覇を果たしたオリックスの日本シリーズは昨年がヤクルトとの対戦で神宮球場。一昨年は同じヤクルトとの顔合わせでしたが大学野球との関係などで東京ドームで開催されています。

「プロ野球のメッカ。大学野球の本拠。そして今年、球児の聖地と野球に関する大きな舞台でシリーズの仕事が続けられたのはうれしかったですね」

満足そうな表情ですが、それにしても元気なうちにやりたい計画とは-。松本さんは笑って言いました。

「クルーズ船のツアーで世界を回ってみようか、と。これまで仕事ばっかりだったんでヨメさん孝行をしないとね」

来年2月のキャンプまでは業務を勤め上げるそう。自身の道を貫いたプロ野球戦士の新たな旅立ちに拍手です。【編集委員・高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)

77年8月、東洋大姫路のエースだった松本正志さん
77年8月、東洋大姫路のエースだった松本正志さん