夏の甲子園が始まった。8月6日、第1試合を前に「始球式」に現れたのは斎藤佑樹だった。さわやかな空気は、あの時とまったく変わっていない。投げ込んだストレート、小気味のいいミットの音が、甲子園に響いていた。

以前にも書いたことがある。僕のようなドロドロの年寄りライターと、ハンカチ王子に接点があるはずもない。ところが斎藤の現役晩年、共通の知り合いがいて、たまたま食事する機会に恵まれた。年がいもなく興奮していた。あのハンカチ王子ですよ。

そんな時、ハンカチ王子はさすがだった。会話が弾まないとみるや、高校時代の思い出、そしてプロに入ってからの苦労を明かし、場を盛り上げてくれた。

その中に印象に残るフレーズがあった。「斎藤佑樹、これからどう生きていくか?」というテーマになった時、彼はこうつぶやいていた。「いつまでもスピードを追い求めるのが投手の習性。しかし、そこには壁や限界が立ちはだかる。その時、新たな選択肢に挑めるか。そこが重要だと思います」。

斎藤はコントロールに生きることを決めた。しかし、これもうまくいかなかった。そして現役を引退、新たなフィールドで新しい人生をスタートさせた。

栄光の甲子園優勝投手。斎藤が甲子園で始球式を務めてから数時間後。広島で甲子園優勝投手が再起をかけてマウンドに上がった。斎藤が投げ、同じ日に藤浪が投げる。ドラマ仕立てが過ぎるかもしれないが、これもめぐり合わせ。藤浪の転機になる…という予感が働いていた。

藤浪には斎藤にないスピードという絶対能力がある。斎藤はきっとうらやましく思っていただろう。あのスピードが僕にあれば…。藤浪だってそうだ。コントロールの精度がもっと高くなれば、こんなはずではなかった。そういう悶々とした心を秘め、ここまで静かに待っていた。

久しぶりの先発のマウンド。藤浪は後先、考えずに投げた。7回途中、2失点降板。その時点では勝ち投手の権利は藤浪の手にあった。ところが最後、守備の乱れ、クローザー岩崎が打ち込まれ、ここに2つの失策も絡んでサヨナラ負けを喫した。これで抑えの人選を考えるべきだとか、そんな声も上がっていたけど、僕はあまりそこは気にならなかった。

この日の試合、藤浪の評価はどうだったのか? そこに尽きると思っていた。だから試合後の監督、矢野のコメントを読んでみた。

「次の登板?」に矢野はこう答えている。「まあこれから考える」。

なんだ、この発言は。僕はそう感じた。内容的にも評価してやっていいはずだし、次の先発はある…くらいのことは言ってもよかったのでは。どうも藤浪に対する矢野の評価は、いつも厳しいように映るのだ。

選手は敏感である。自分の評価を気にするもので、次の日のスポーツ新聞で監督談話を読みあさる。これをうまく利用する監督もいて、間接的にモチベーションを上げさせる手法を用いるのだ。

となれば矢野の藤浪への期待感は、ここ数年、見てきて年々、薄れている…というのが正直な印象なのだ。

8月7日、今シーズン100試合目を終え、残りは43試合になった。CS進出へ、まだまだ安全圏ではない。中日以外の4チームがAクラス入りを目指し、その差はわずか。どこが2、3位に入ってもおかしくない状況だし、これはきっと最終戦まで持ち越されるかもしれない。

今季限りで退任する矢野である。これから先、僕は「矢野遺産」に注目している。矢野によって花開いた1番から4番まで左打者という変則スタイル。これも矢野遺産だし、投手では浜地、湯浅は確実に矢野の遺産。そこに「藤浪復活」も加えてもらいたい。(敬称略)【内匠宏幸】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「かわいさ余って」)