1月19日、兵庫・西宮市内のホテルで、今年初のスタッフ会議が開かれた。事前に連絡し、監督の岡田彰布は早めに会場入りしてくれることになった。2024年、初の取材であったが、やはり聞きたいのは「連覇」についてだった。

岡田の経歴は球団では非常に珍しいもの。1985年は現役でリーグ優勝、そして日本一になり、2003年はコーチで、2005年は監督としてリーグ優勝を味わっている。その3度はいずれも単発。連覇はできなかった。1962年、1964年のリーグ優勝時も続けて優勝することはできず、タイガースは2リーグ分立後、5度のチャンスを生かせず連覇は夢のまた夢…。

そこで岡田は過去3度、連覇を逃がした原因を自分なりに分析、冷静に振り返った。

【戦力はいっぱい、いっぱいだった】これは1985年、日本中を熱狂させた翌年の86年のこと。当時、選手会長だった岡田は感じるものがあったという。「85年がピークいうのかな。もう選手はいっぱい、いっぱいの状態やった」。バースが2年連続で3冠王になったが、彼以外は軒並み、成績は落ちた。それは打線も投手陣も同じような沈み方だった。

おまけに4番掛布が故障で離脱。チームの中に伸びしろはなくなっていた。「だから、あの成績が精いっぱい。やはり連覇するのは難しい…と感じた」。

【予定通り? の連覇逃し】 星野体制で18年ぶりの優勝に沸いた翌年。2004年は岡田の監督初年度であった。連覇の期待がかかる中、岡田はあえて先を見越して、チーム改造に打って出た。「もちろん優勝、連覇を目指したが、一方でオレは先のことを考えていた。特に投手陣。ベテランが多くて、ここを改善しなくては…と思った。だから4位の結果も納得やった。それより次を見とけ! という思いの方が強かった」。

【84勝でなぜ優勝できない?】 2005年、岡田の読み通り、リーグ優勝を果たした。その翌年、岡田なりに自信があった。「若い力も伸びて、主力も脂が乗った状態。これでいけたら連覇すると思った」。2006年、阪神の最終成績は84勝。前年が87勝でたった3勝差。「これで優勝できんのやから」といまも悔いを残すシーズンとなった。

ただし、分析してみると他球団の阪神に対する対策とか、チーム強化策はやはり目立ったという記憶がある。「十分に優勝できる数字やったけど、その上をいったのが中日やった。まあ、どことも戦力を補強して、阪神対策もやっていた。やっぱり連覇するには、その上をいかなあかんのよな」。これには実感がこもっていた。

さあ阪神タイガース、2リーグ分立後6度目の挑戦になる。岡田にとっては現役、コーチ、監督として4度目のチャレンジ。「過去3度と比較して、今年は自信あり?」そう問うと「そらそうよ」と返ってきた。根拠は? に対しては「選手の心持ちと、さらなる伸びしろ」と言い切り、それも「他のチームも補強してきたが?」には笑っていた。

「ピンとこないんよな。どこがどう強くなっているのか。正直、怖いとは感じていないで」。言葉を選びながらも、この自信。ここまでのものは、過去にはなかった。【内匠宏幸】(敬称略)

06年10月16日、シーズン総括会見をする阪神岡田監督
06年10月16日、シーズン総括会見をする阪神岡田監督