<イースタンリーグ:西武5-4ロッテ>◇25日◇カーミニーク

選手として日本ハム、ロッテ、ダイエーで21年間、コーチとしてソフトバンク、阪神、中日などで21年間(うち1年間は編成担当)、計42年間のプロ野球人生を送った田村藤夫氏(61)は、西武のベテラン左腕・内海哲也投手(38)のピッチングに1軍昇格への兆し、勝つための明確な課題を見た。

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3回まではストレートの力を感じるピッチングだった。スタンドにいた編成担当と話し、前回の登板からストレートのキレが出てきたと知った。最速142キロ。ボールに力がある。変化球はチェンジアップと、昔でいうカーブとスライダーの特長を備えたスラーブが良かった。

4回になると早いカウントからストレートがつかまるようになる。理由ははっきりしていた。右打者の内角ストレートが甘くなっていた。右肩の開きが早く、それによってシュート回転して内角を狙ったボールが真ん中に入っていた。この試合で右打者の内角ストレートでいいコースに決まったのは4球ほど。対して甘くなったのは10球はあった。この割合を反対にするぐらいでないと、内海のピッチングは苦しくなる。

中日のコーチ時代に、巨人の内海を何度も見てきた。キレもありコントロールもいい。右打者の内角を突き、外のチェンジアップか、やはり外の大きいカーブで緩急をつけながら打ち取っていた。この日は4回を投げ6安打2失点、78球だった。ここからイニングを6回まで、球数も100球近くに増やせれば、チャンスは巡ってくる。1軍の先発陣は苦しいだけに、内海の力を必要とする日はくるだろう。

38歳(4月29日で39歳)の内海が投げる姿を見て、自分が引退を決めたのは39歳だなと気づいた。4回、無死一塁でスイッチヒッターの加藤に右打席で左中間にストレートを運ばれた。外角を狙った初球ストレートが甘く入った。内海はホームへバックアップに走った。その時の表情に悔しさがありありと浮かんでいた。「まだそういう気持ちがあるんだ」と、内海の表情が強く印象に残った。

ふと、自分が引退を決めた情景がよぎった。ダイエーにいた私は、城島がけがをして1軍の戦列を離れた約10日間、チャンスはなかった。城島が復帰すると同時に2軍に落とされた。「もう自分の居場所はない」と感じた。今思えば、その時の私は短気になっていたと思う。「もういいや」という思いから、球団にシーズン限りでの引退を伝えた。

2軍に合流し、当時の石毛監督にユニホームを脱ぐ旨を伝えた。確か9月下旬だったと記憶している。家族を雁の巣球場に呼び、そこで最後のユニホーム姿を見せた。

もちろん、134勝もしている内海と私を同列に考えてはいない。そこまでずうずうしくはない。ただ、自分が引退を決めた年と同じ年齢で、こうして2軍で打たれて悔しがる内海を見られて良かった。

評論という仕事をするならば、年齢などの背景よりも、プレーそのものを評価すべきと考えている。その一方で、こうして1軍昇格を目指すベテランには、心のどこかで「頑張れ」と思わずにいられない。そんな感情が湧いてくるのも事実だ。

右打者の内角ストレートをもっと制球すること。シュート回転して中に入れば、今の球威では仕留められる。外角のストレートもしっかりコントロールしないといけない。右打者の両サイドをいかに正確に投げ分けるか。それができてはじめてチェンジアップとスラーブが生きてくる。それが内海が1軍で勝つための生命線になる。(日刊スポーツ評論家)