85年の猛虎日本一メンバーには、阪神のドラフト入団拒否経験者が2人もいた-。

今年も10月11日にドラフト会議が行われる。制度が導入された当初は、現在と違い入団を拒否する選手も少なくなかった。球界屈指の人気を誇る阪神も、これまで45人の選手から入団を辞退されている。この中に、85年の主力選手である長崎慶一外野手と池田親興投手がいることは、意外と知られていない。

左の好打者長崎は、68年ドラフト8位で北陽(現関大北陽)から指名を受けたが、法大への進学を選んだ。東京6大学リーグで大きく成長し、72年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入り。82年には首位打者となるなど、セ・リーグを代表する打者となった。

池田は77年に宮崎・高鍋から4位で指名されたが拒否。現状ではこのときの池田が、阪神の指名を辞退した最後の例である。くしくも長崎と同じく法大へと進んだ。日産自動車を経て83年2位で阪神に再び指名され、今度は入団した。同期の1位は中西清起投手(リッカー)だったが、阪神はどちらを1位にするか悩むほどの力をつけていた。

84年オフにトレードで長崎が阪神入りし、85年から2人はチームメートとなった。チームは21年ぶりのセ・リーグ優勝を果たす。余勢を駆って迎えた日本シリーズで、そろって大活躍を見せる。池田は第1戦で、史上6人目のシリーズ初登板完封勝利を達成。3勝2敗で迎えた第6戦では、長崎が初回に満塁本塁打を放って日本一を引き寄せた。池田に始まり長崎に終わる。ドラフト拒否選手に始まり、拒否選手に終わった85年の日本シリーズであった。

近年はスカウトの調査も行き届き、ドラフト入団辞退そのものが珍しくなった。まさに隔世の感である。この先、ドラフト拒否した球団に年月を経て入団し、活躍する選手は出るのだろうか。さまざまな人間ドラマが待つドラフトが、今年も間もなくやってくる。【記録担当 高野勲】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

長崎慶一は右越えに勝負を決める2点本塁打を放ちベンチにがい旋、ナインもスタンドのファンも大喜び(1985年10月31日撮影)
長崎慶一は右越えに勝負を決める2点本塁打を放ちベンチにがい旋、ナインもスタンドのファンも大喜び(1985年10月31日撮影)