多彩な変化球を投げ分ける技巧派左腕が、2009年(平21)のセンバツを盛り上げた。21世紀枠で出場の利府が、宮城公立校初の春4強入りを果たした。エース塚本峻大投手(23=現日本製紙石巻)がその原動力となった。抜群の制球力を武器に、私立強豪校を次々と撃破。その反骨精神は、社会人2年目の今も変わらない。

準々決勝で早実を破り、ガッツポーズで喜ぶ利府・塚本
準々決勝で早実を破り、ガッツポーズで喜ぶ利府・塚本

 09年春、「利府旋風」の中心に塚本は居続けた。発熱に見舞われながらも、1回戦の掛川西(静岡)から準決勝まで全4試合で先発。初めての甲子園で、エースとしての役割を果たした。

 塚本 掛川西戦は1回戦最後の試合だったので大会6日目でした。とにかく待ち遠しかったのを覚えています。初打席でヒットも打って、気持ちが楽になった。

 10-4で聖地初勝利を飾ると、2回戦の習志野(千葉)は2-1、準々決勝の早実(東京)は5-4。全国優勝経験校をいずれも逆転勝ちで連破し、全国を驚かせた。

 塚本 甲子園入りしてから風邪をひいてしまい習志野戦で37・8度、早実戦の朝は39度近くの熱がありました。でも試合中は気にならなかったです。

 「強い私学を倒す」。塚本の原動力は利府入学を決意した時の、この反骨精神だ。野球を始めた松ケ浜小2年時から投手一筋。高校時代ソフトボール部エースだった母恵子の影響もあった。中学時代には軟式の県選抜にも選ばれた。高校進学時は私立からの誘いもあったが、あえて利府を選んだ。

 塚本 私立にはすごい選手がいっぱいいる。そこで自分がやっていけるかという思いもありましたが、公立で私学を倒したいという気持ちの方が強かった。

日本製紙石巻で活躍する塚本投手
日本製紙石巻で活躍する塚本投手

 2年秋にエースナンバーを背負うと責任感も出た。風の抵抗の大きいピンポン球を使って曲がり方を確かめるなど研究を重ねた。最速は123キロながら、覚えたてのカットボールと抜群の制球力を武器に、相手打線をほんろうした。

 塚本 それまで変化球はスライダーとカーブだけ。エースになってシンカーやスクリュー、チェンジアップを覚え始め、縦のスライダーも投げられるようになった。投げ方は自分で考えました。(当時)カットボールといっていましたが、実際はスライダー。曲がりが小さかっただけです(笑い)。

 その秋の宮城県大会決勝では仙台育英を、東北大会では日大東北(福島)、酒田南(山形)と私立の強豪を次々と撃破。入学時の誓い通りの快進撃で、21世紀枠として初の甲子園切符を手にした。

 甲子園史上初の東北準決勝対決となった花巻東(岩手)戦は相手エース左腕菊池雄星(現西武)と投げ合った。結果は2-5で逆転負けしたが、21世紀枠では01年の宜野座(沖縄)に続き史上2校目の4強入りを果たした。

 塚本 雄星からライト前にヒットを打ったんですが、逆に6回に満塁でセンター前に2点タイムリーを打たれて、僕はマウンドを降りた。(投げ合った菊池の)プロでの活躍は、やはりうれしいです。自分も、あの大舞台でやれたことはいい経験になりました。

 高校卒業後は東北学院大(仙台6大学)でリーグ通算16勝をマーク。3年秋には全国常連の東北福祉大を下し、リーグ優勝も果たした。社会人1年目の昨年は、都市対抗(補強選手)と日本選手権で再び全国マウンドを踏んだ。最速は140キロまでアップ。今夏、東北第2代表で都市対抗出場も決めた。社会人になってまだ全国白星はない。

 塚本 甲子園の経験がここまで道を作ってくれたと思う。まず社会人としても全国で1勝して、より長く野球を続けたい。(敬称略)【佐々木雄高】