りんご畑が広がる津軽地方からやって来た「りんごっ子」が、全国にその名を知らしめた。2013年(平25)夏、弘前学院聖愛(青森)が初出場して2勝を挙げた。右横手投げのエース小野憲生(東北福祉大2年)は玉野光南(岡山)との1回戦で完封勝利するなど、甲子園で活躍した。有名になった「りんごっ子」の愛称。小野をはじめ、選手たちは伝え聞くまでまったく知らなかった。

5月の新人戦で力投する東北福祉大・小野
5月の新人戦で力投する東北福祉大・小野

 弘前学院聖愛といえば「りんごっ子」。実は選手はその言葉を、直接聞きも知りもしなかった。

 小野 僕らは「りんごっ子」なんて、誰も言っていない(笑い)。新聞とか見て知っただけなんです。知らない間に「りんごっ子」になっていた。今でも故郷に戻ってみんなで集まると「誰が言ったんだ」と話題になるんです。

 2年前の夏、初めて青森大会を優勝した後のインタビュー。原田一範監督(37)が初めて「りんごっ子」という言葉を口にしたのが始まりだという。全員が津軽生まれで、実家でりんご農家を営む選手がいることもあり、チームにつけた愛称だった。

13年7月24日付日刊スポーツ青森1面
13年7月24日付日刊スポーツ青森1面

 小野のいとこもりんご農家で、収穫期は小さいころから手伝っていた。

 小野 冬はよく食べていました。身近なものでした。

 ただ「りんごっ子」のエースとして、ちゃかされたこともあった。

 小野 自分の顔は赤いんです。それで新聞に「エースの顔も真っ赤」なんて書かれちゃったりして(笑い)。恥ずかしかったなあ。

 甲子園では恥じらうどころか、選手全員がりんごのように真っ赤に燃えた。玉野光南との1回戦で初出場勝利。青森県勢が初陣を飾ったのは、あの太田幸司を擁した三沢以来45年ぶり2校目だった。2回戦では沖縄尚学も破った。ベスト8入りこそ逃したが、初陣2勝は県史上初めて。大きな足跡を残した。

13年、弘前学院聖愛の夏のスコア
13年、弘前学院聖愛の夏のスコア

 小野 甲子園で楽しくやろう。勝ち負けじゃなくて、今ここにいることを幸せに感じながら。その気持ちがみんなにあったんです。1勝、2勝が青森で記録的なことなのは甲子園が終わって、帰ってから知りました。びっくりです。みんなそうでした。

 無欲が快進撃の支えになったのだろう。帰郷後は、地元でちょっとしたフィーバーになった。

 小野 秋から寮を出て、津軽の自宅から弘前までの通学でした。電車の中で声を掛けられたり、駅を降りたら年配の方から写真を撮られたり。小さい子どもからはサインをお願いされるんです。時の人でした。

 「りんごっ子」の愛称に、抵抗はなかったのだろうか。

 小野 違和感はありません。それで有名になったし、いい方に考えれば良かったのかなと。

 甲子園2勝で新たな道が開けた。

 小野 自分たちより上の選手がいることを知った。それがきっかけで、大学でも野球をやろうと。新しい夢をくれました。

 仙台6大学野球の盟主・東北福祉大に進学。リーグ戦の登板はまだないが、今春初めてベンチ入りした試合があった。高校時代の同級生、一戸将も同じ野球部にいる。

 小野 一戸の実家から寮にりんごが届けられて、一緒に食べてます。自分の実家からは、りんごジュースが届くんですよ。

 故郷の特産品は、仙台で暮らしていても身近なままだ。(敬称略)【久野朗】