24年ぶり2度目の決勝進出を果たした星稜。「後輩」たちの活躍を、人一倍頼もしく感じているOBがいる。24年前の星稜メンバーだった三浦聡さん(42)だ。決勝では1-3で帝京に敗れたが、三浦さんは捕手として山本省吾投手(当時2年、現ソフトバンクスカウト)とバッテリーを組み、初の決勝進出。準々決勝・金足農戦の本塁クロスプレーで左足じん帯を負傷したが、欠場することなく最後まで戦い抜いた。群馬で会社員をしている三浦さんに、当時の思い出を聞いた。


■後輩たちに「栄光の世代交代」をしてほしい


-母校・星稜が決勝進出。三浦さんが活躍された1995年夏以来となります。

「うれしいの一言です。僕らのときはまぐれで(決勝に)行ったけど、いまのチームはあの時以上に強い。実力で勝ち上がってきた結果だと思います」

-三浦さんは準々決勝で左足を負傷。3番打者として準決勝で3安打を打ちますが、閉会式のときは痛みで場内1周ができませんでした。仲間たちをベンチ前から見つめていた姿が思い出されます。

「当時、僕らは準々決勝から決勝まで3日で3連戦でした。ケガを言い訳にしたくなったので、痛み止めの薬を飲んで、テーピングをして試合に出ましたが、決勝で負けて気力も切れ、閉会式のダイヤモンド1周はできませんでした。いまは休養日も設けられ、日程的に余裕ができたのはいいこと。ただ、当時の僕らのように勢いで勝ち上がっていったチームには、休養日の過ごし方が難しいかもしれません」

-三浦さんは卒業後、専修大の準硬式野球部に入部。2学年上で、日本大準硬式野球部出身の星稜・林和成監督と同じ「準硬式」の道を選びました。

「もともとは高校を卒業したら就職し、軟式野球ができればいいな、くらいに思っていました。当時の山下智茂監督(現名誉監督)から準硬式を薦められ、最初は『それって何だ?』と思いつつも、硬式とは違う大学野球があると知り、進路を決めました。野球漬けにならない大学生活が自分に合っていて、選んでよかったと思っています」

-三浦さんの弟・隆則さんは宇ノ気中の監督として、2016年に中学の全国大会(全中)で優勝。このときの優勝バッテリーが現・星稜の奥川恭伸投手(3年)と山瀬慎之助捕手(3年)。この縁も不思議なめぐりあわせです。

「3年前、全中の会場が新潟だったので、帰省を兼ねて決勝戦を見に行きました。奥川君も良かったですが、同じ捕手として見た山瀬君のスローイングの速さと正確さに驚きました。弟とは野球の話は一切しませんが、星稜中時代に日本一になった自身の経験が生きたのかもしれません。いい選手にも恵まれたのだと思います」

-最後に。あす決勝を戦う後輩たちにエールをお願いします。

「僕が偉そうに言える立場ではありませんが、初優勝に向けて頑張ってほしいですね。星稜の栄光の記録が、いつまでも僕たちの準優勝のままではいけないと思っています。時代も令和に変わったことですし、優勝して『栄光の世代交代』を果たして欲しいなと思います」

【取材/樫本ゆき】