熊本・開新が、50季ぶり3回目の秋季九州大会出場を決めた。指揮を執ったのは、8月の独自大会終了後に就任した元副部長の中川恭士郎監督(30)。「びっくりです。ここまで行けると思っていなかったですから」。創部65年での初優勝は逃したが、監督就任からわずか1カ月半で準優勝。「生徒たちの頑張りに尽きます」と選手を称(たた)え「最後は東海大星翔さんとの監督の差が出て負けました。家に帰ってスコアブックを何度も見返しました」と反省した。16安打を打ったが、7-8のサヨナラ負け。采配の難しさ、初めて味わう悔しさをかみしめた。

高校時代から負けん気の強い男だった。親子3代で熊本工の出身。同級生に2011年セ・リーグ盗塁王の藤村大介(元巨人・現3軍内野守備走塁コーチ)や、隈部智也(元ホンダ熊本)がいた。チームは高2秋の九州大会優勝含む、3度の甲子園出場を果たした。

内野手で入学した中川は1年冬に林幸義監督の薦めでマネジャーに転向。監督から「マネジャーはキャプテン(藤村)よりも大事な仕事だぞ」と言われ、裏方に徹する決心がついた。

試合経験は紅白戦を含めてゼロ。それでも、野球が大好きだった。誰よりもチーム愛が深かった中川は、のちに高校生ドラフト1位指名を受ける藤村が守備のスランプに苦しんでいる時、練習休みの日につきっきりで内野のノッカーを務めたこともあった。2018年、ジャイアンツアカデミーのコーチに決まった藤村から「キャッチャーフライが上がらない。ノックって難しいんだな」と連絡をもらったときは「そうだろ? 裏方の気持ちをやっとわかってくれたか!」と笑い合った。

■本気でぶつかり、本気にさせる

中川は高校卒業後、現役で鹿児島大学に合格。国立大で硬式野球に打ち込みながら、中学技術と、高校工業の教員免許を取得。野球でも優秀選手(遊撃手)に選ばれ、3年時にリーグ優勝を果たした。卒業後、熊本に戻り工業科の教員として開新に赴任。県唯一の「自動車科」を持つ同校は、自動車好きな生徒が集まる学校。野球部員も多く在籍する科で、未来の整備士を育てている。

前監督で、1996年夏の決勝「奇跡のバックホーム」で有名になった熊本工元主将の野田謙信さん(42)とは8年コンビを組んだ。「俺のあとはお前しかいない」。そうバトンを託されたとき、監督という立場の重みに身が引き締まった。指導モットーは「本気でぶつかり、本気にさせる」。中途半端が大嫌いな九州男児。「“本気”とは、人間形成、学校生活、野球。すべてのことです」。SNSの付き合い方や、眉毛の形まで。生活指導も徹底している

気づけば、熊本工の同級生で野球を続けている者は1人もいなくなってしまった。そんな仲間たちから決勝後「おつかれ!」、「いきなり結果出しすぎだろ」など多くのメールが届き、力が湧いてきた。「九州大会では、初々しく、若さと勢いで戦います」。その姿は希望で満ちあふれている。

【樫本ゆき】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「いま、会いにゆきます」)

情熱をもって、選手1人1人と向き合う開新・中川恭士郎監督
情熱をもって、選手1人1人と向き合う開新・中川恭士郎監督