1915年の第1回全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)の開幕試合に勝利した鳥取中(現鳥取西=鳥取)は、これが豊中グラウンドで行う2試合目だった。3日前の15日に杵築中(現大社=島根)と対戦し、5-2で勝利して山陰代表になっていた。これより2年前、松江中(島根)と米子中(鳥取)の試合で応援団の乱闘騒ぎがあり、両県間の対抗試合は見合わせることにしていた。しかし、第1回大会の開催が決まって代表を求められ、苦肉の策として場所を移した。「地元ならまた騒ぎになりかねないが、大阪までは来ないだろう」と、本大会の会場が選ばれていた。