東北NO・1を沈めた赤平のバットが、8年ぶりの夢舞台を呼び込んだ。「先制点は相手にダメージを与えられる。チャンスだったので狙っていました」と3回に先制打を放って流れを呼び込む。7回は勝ち越し犠飛、9回には中越えに2点適時二塁打を放ちダメを押した。「簡単に直球を投げてこない相手。変化球を狙っていました」。抜群の選球眼から、いずれも低めの変化球を初球でとらえて、決めた。

 背番号19。4月に腰部を疲労骨折し戦線離脱。大会1カ月前にメンバー登録されたばかりだった。夏を見据え、バットを握らず下半身強化と打撃フォームの改造に取り組んできた。準決勝を終えた夜、剛腕古屋敷から放ったホームランボールを母洋子さんにプレゼント。そのとき洋子さんの母(祖母)が亡くなって19年目と聞かされた。「夏からつけることになった背番号19。祖母に背中を後押しされたのかな」と、縁深いものを感じて打席に立った。

 チームは、赤平を始め先発メンバー全員が青森県出身。ベンチ入りした県外出身の選手は5人と「オール青森」の方向を打ち出してから、わずか3年目で結果を出した。試合前日が誕生日だった兜森崇朗監督(38)は、歌で祝福された後、3度宙に舞った。「競った試合で力を発揮できなかったチームがよくここまでやってくれた。打てないチームだったので少ない安打を得点につなげて、やってきた成果が出ました」と選手をたたえた。同校野球部出身で、97年夏決勝で光星学院(当時)に0-11で敗れた苦い経験も持つ。宿敵であり最大のライバルを相手に、オール青森で、勝ってみせた。【下田雄一】