智弁学園(奈良)坂下翔馬内野手(2年)と日大山形・西島好亮内野手(2年)による「チーム星野」対決は、智弁学園に軍配が上がった。

 2人はともに1月に70歳で死去した星野仙一氏が支援した12歳以下日本代表の元メンバー。14年に米国で行われた「カル・リプケン12歳以下世界少年野球大会」に出場し、準優勝に輝いた。

 「1番二塁」で先発した坂下は、死球で出塁した6回に犠打で二塁に進み、3番左向の浅い左前打で俊足を飛ばして同点のホームイン。7回には右前適時打を放って勝利に貢献した。

 「攻める走塁、守備、バッティングがしたかった」と奮闘。試合後は西島と言葉を交わし「『ナイスバッティング』って言ってもらいました。次また甲子園で会おうと話しました」と言った。12歳以下の日本代表では主将を任され、濃密な国際経験で、野球選手として大きく成長した。

 「星野さんがお金も全部出してくれてアメリカに行かせてくれた。星野さんのためにも、自分が一生懸命プレーしているところを見てほしい」と感謝する。

 敗れた西島は「6番遊撃」で先発し、8回1死一塁から中前打でチャンスをつくるなど攻守で活躍した。

 「2本ヒットは打ちましたが、勝たなきゃ意味がない。坂下ともいい戦いができたが、やっぱり誰にも負けたくない」と悔やんだ。「星野さんには野球の厳しさとか楽しさとか、全部教えてもらった。星野さんの教えは自分としては全部できた試合だったと思う。この負けを絶対に忘れないで、夏に甲子園で校歌を歌って、優勝旗を持ち帰りたい。どの学校よりも努力したい」と言った。

 「カル・リプケン12歳以下世界少年野球大会」に参加するきっかけは、星野氏が仕事で米国を訪れた06年、大リーグで2632試合連続出場を誇るカル・リプケン(元オリオールズ)主催の世界大会に日本チームが出てないことを目の当たりにしたことだった。

 「日本の野球チームが参加していない世界大会なんてあったらアカン」と支援を開始し、昨年まで11年連続で参加。1回の遠征にかかる費用は約1000万円だが、15人の選手やスタッフに金銭面の負担はない。米国では英文の朗読を行い、約2週間ホームステイで生活する。野球以外でも各国の選手や家族と交流することで、人間的な成長につながる。野球人口の拡大、アマチュア野球の発展は、星野氏が強く願い続けたテーマの1つだった。