大阪桐蔭が智弁和歌山との近畿対決を制し、史上3校目の春連覇を成し遂げた。西谷浩一監督(48)は春夏通算6度目の優勝となり、PL学園を率いた中村順司氏(71)に並び、最多優勝監督となった。

 ライバル校に対する思いが、偉業達成の原動力になった。西谷監督は指導者の原点を振り返る。「大阪の中に日本一の学校がある。勝たないと甲子園に出られない。PLのことばかり考えてやってきた。夢に何度も出てくる学校だった」。春連覇はPL学園以来、史上3校目。指揮官にとって、春夏通算6度目の優勝は名将中村順司監督に並ぶ。常勝チームを築いても、追いかける気持ちは不変だ。

 新チームは「虚像」との戦いだった。メディアから「最強世代」と呼ばれた。「単純に去年のチームで下級生が試合に出ることが多く、センバツで勝てた。だから、このチームは強いんじゃないかと。これは違うぞと。神宮大会ではぶざまに負けた。何のチャンピオンでもない」。

 今年2月にはパートリーダー制を導入。主将中川、副主将根尾以外に、打撃や内野守備など6部門で7人のリーダーを指名。「9人で芯を作り、下級生も巻き込み、1つのチームを作りたかった」。9人の幹部とノートを交換し、考えを共有。大会期間中も欠かさず、毎日やりとりした。チームの一体感が昨秋にはなかった粘りを生んだ。最強世代という虚像は実像に近づきつつある。100回大会は2度目の春夏連覇という大目標に挑む。

 ◆大阪桐蔭・西谷浩一監督が通算6度目の優勝。監督の優勝回数で最多のPL学園・中村順司監督に並んだ。監督として初Vは浅村(現西武)らを擁した08年夏。そこから数えて出場12度で6度のVラッシュだ。

 西谷監督は決勝で6勝無敗、初戦は15勝無敗。チーム状態を上げるのが難しい試合を落とさず、番狂わせはない。中村監督は84年春決勝で岩倉、夏は取手二に敗れ、準優勝2度。86年春は浜松商に1-8、95年春は銚子商に7-10で敗れ、初戦敗退が2度ある。

 今年9月で49歳になる。48歳時に49勝は中村監督とほぼ同じペース。通算勝率8割4分5厘(49勝9敗)は、中村監督の8割5分3厘(58勝10敗)に8厘差まで迫った。【織田健途】