鹿児島大会は、100回大会の夏に創部100周年の伝統校、鹿児島実が9-1で鹿屋中央を下し、3年ぶりに夏の甲子園出場を果たした。ライバル樟南と並ぶ県内最多タイの19度目の出場。メモリアルイヤーを祝うかのように、自慢の“桜島打線”が満塁本塁打など18安打の猛攻をかけ、記念大会を制した。投げてはエース吉村陸矩(りく、3年)が1失点完投。攻守に圧倒的な強さを見せた。

 メモリアルイヤーの夏の大会へ、名門・鹿児島実が19度目の出場を決めた。9回2死一、三塁。優勝の瞬間、選手は喜びを爆発させた。創部100周年の年に甲子園に出る。強いプレッシャーを感じながらの戦いだった。試合後も、ベンチでナインは抱きあい、うれし涙にくれた。

 夏は第60、80、90回と記念大会に出場。同校OBで選手として甲子園春夏8強の経験がある宮下正一監督(45)は、節目の勝負強さを問われ「日頃からの厳しい練習が強さです」。創部100周年に100回大会を制し「プレッシャーはあったが、この大会は選手が決めてくれたことが大きい。素晴らしい選手たちです」と目尻を下げた。

 特に期待に応えたのが、大河ドラマ「西郷どん」の主人公、西郷隆盛に風貌が似る175センチ、85キロのチーム一の巨漢、4番・西竜我(りょうが)内野手(3年)だった。その風貌や体つきで、宮下監督から「西郷どん」と呼ばれる男が“桜島打線”をけん引した。

 3回無死満塁で「一振りで流れを変えたかった。(先発の)吉村を楽にさせたかった」。日本ハム中田ばりに背中を反らすルーティンから打席に入り、内角低め直球をライナーで高校初の右越え満塁本塁打にした。

 あだ名は「掃除機」。西畑光瑛主将(3年)は「ご飯を吸い込むように食べる。15分もたたないうちに、ご飯茶わんで7杯食べたこともあります」と、パワーの秘密を明かした。

 野球部は1918年創部。巨人杉内、ソフトバンク本多らを輩出し、OBは総勢2000人を超える。今年2月に記念式典が開催され、杉内や本多のビデオレターに、選手は心を動かされた。OB会からマイクロバスの寄贈もあった。恩返しの優勝だった。西畑主将は「甲子園で鹿児島実らしく全力プレーで戦いたい」と言う。全国でも伝統校の底力を見せつける。【菊川光一】

 ◆鹿児島実 1916年(大5)私立鹿児島実業中学館として創立。48年から現校名に。生徒数は1408人(女子572人)。野球部は18年創部。部員数114人。甲子園は春は9度出場し96年優勝。夏は15年以来19度目で74、91年の4強が最高。主なOBに定岡正二(元巨人)杉内俊哉(巨人)本多雄一(ソフトバンク)ら。鹿児島市五ケ別府町3591の3。中釜一喜校長。

◆Vへの足跡◆    

2回戦9―2甲南

3回戦4―0出水中央

4回戦4―1鹿児島城西

準々決勝1―0指宿商

準決勝13―2鹿屋農

決勝9―1鹿屋中央