被災地に夢を-。昨夏甲子園準優勝の広陵が、西日本豪雨の影響で開幕が10日延期された広島大会の決勝で、劇的なサヨナラ勝ちで優勝を飾った。延長10回、7番藤井孝太外野手(2年)が決勝打を放ち、2年連続、県内最多となる23度目の夏の甲子園出場を決めた。中井哲之監督(56)は広島の街への思いを胸に、悲願の夏の頂点を目指す。
延長10回。2死走者なしから敵失で二塁まで走者を進めた。決めたのは7番・藤井だ。左中間へはじき返した打球は、相手中堅手のグラブをかすめ、サヨナラ打となった。ヒーローは「ベンチから『強い気持ちで絶対に負けるな』と言われた。やってやると」と興奮して言った。中井監督は「ほんまによく打ってくれた」と藤井をほめた。同監督は今年3月に父千之(ちゆき)さんを78歳で亡くしており「おやじ、勝たせてくれえや」とベンチの中で何度も祈ったという。まさに、願いは通じた。
「野球をしていていいのかなと思った」。劇的勝利の高ぶりとは裏腹に、中井監督は試合後、複雑な心境を口にした。7月上旬に発生した豪雨災害で、同県は甚大な被害を受けた。断水やグラウンドが水没する学校もある中での大会だった。だからこそ、喜びに浸るばかりでなかった。
ノーシードから勝ち上がってきた。この日の戦いも苦しかった。序盤に3点のリードを許した。だが、あきらめない。3回、上位打線の3連打で追いついた。直後の4回に安打と失策で追加点を許したが、必死に食らいついた。6回からはエース森悠祐(3年)がリリーフ登板。完璧な無安打投球で流れを呼び込む。8回、2死から連打で一、二塁。その好機で、4回に自らの失策で勝ち越しを許していた藤井が「取り返したかった」と中前へ同点適時打を放ち、延長戦に持ち込んだ。その藤井が、最後にヒーローとなった。
災害後、中井監督は選手寮に被災記事が載る新聞を張り「野球ができる幸せ。今、野球ができることは当たり前じゃない」と選手に伝えてきた。そして、この日、あらためて誓った。「少しでも広島にいいニュース、広島県代表として頑張れるニュースを届けられるように全力プレーで(甲子園でも)1つでも多く勝ちたい」と。猪多善貴主将(3年)は「夏に、中井監督を胴上げしたい」と話した。初の夏の甲子園優勝へ、挑戦は続く。【奥田隼人】
◆広陵 1896年(明29)設立。生徒数は1281人(女子493人)。野球部は1911年創部で、部員数は130人。甲子園出場は夏23度目。春は23度。夏は準優勝4度、春は優勝3度、準優勝3度。主なOBは阪神金本知憲監督、広島野村祐輔ら。所在地は広島市安佐南区伴東3の14の1。国貞和彦校長。
◆Vへの足跡◆
1回戦21―0千代田
2回戦19―0松永
3回戦10―0西条農
4回戦10―0三原
準々決勝12―2広島国際学院
準決勝3―1広島商
決勝5―4広島新庄