日大三(東京)拓大紅陵(千葉)の野球部監督を歴任した小枝守氏が21日午前9時7分、肝細胞がんのため、都内の病院で亡くなった。67歳だった。

春夏通算10度の甲子園に出場した同氏は、拓大紅陵時代の92年夏の甲子園で準優勝に輝いた。16年に高校日本代表監督に就任。同年のU18アジア選手権(台湾)では藤平(現楽天)らを擁し優勝。17年のU18W杯(カナダ)では、清宮(現日本ハム)らを擁し、3位に入った。退任後は日本高野連の技術振興委員会副委員長を務めていた。

がんと判明後は闘病生活を続けていたが、病状が悪化し、昨年末に入院していた。日大三の小倉全由監督(61)は18日に病院で見舞ったばかりだった。日大三の学生コーチに着任した時、小枝氏が同校監督を務めていた。「本当にまじめな人。絶対に妥協しない。いいかげんな気持ちは絶対にない人でした」と沈痛な様子で故人をしのんだ。

小枝氏の「指導者は選手のかがみだからな」という言葉が、小倉監督には最も印象的だという。「野球の技術のこともたくさん話しましたが、それが一番ですね。だから、自分は今でも選手たちに言うんです。誰が見ているかわからない。絶対に、裏表のない人間になるのが一番カッコいいんだ、ってね」。小枝氏の教えは継承される。

◆小枝守(こえだ・まもる)1951年(昭26)7月29日、東京都生まれ。日大三、日大を経て、76年に日大三監督に就任。82年から拓大紅陵監督を務め、14年に勇退した。飯田哲也(現ソフトバンク3軍外野守備走塁コーチ)など多くのプロ野球選手も輩出した。