大阪大会1回戦で、上宮太子が延長11回の熱戦を制し、生野に6-3で勝利した。上宮太子の音野峻弥(たかや=2年)は中学1年の春、右足に骨肉腫を患い、走ることができない。この夏はわずかに不自由の残る右足を引きずりながら、ノッカーとしてチームを支える。古豪・大体大浪商も40年ぶりの夏の甲子園に向け、初戦を突破した。

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味方の攻撃時、音野はスタンドで立ち続けた。延長11回の大熱戦。「しんどい試合だけど、勝ててよかった」。グラウンドのチームメートの喜びは、音野の喜びだった。

試合前、出番が近づくと、音野はぐるぐる肩を回した。黒いバットを手に、ゆっくりとグラウンドへ。「あまり動くことができないので、違う形だけど動けるのが楽しいです」。約4分間、チームメートへ丁寧にノックの打球を届けた。 

12歳の春。右太ももに違和感を感じた。「筋肉痛のような痛みが続いていて、それが急に、立てなくなった」。症状を判別する手術を受け、骨肉腫と診断された。強豪の生駒ボーイズに所属していたが、入院中は薬の影響で免疫力が低下するため、野球の練習は禁止になった。

骨肉腫にかかった組織を除去する手術を受け、2月に退院するまでリハビリ生活。「自分にできることを」とスコアの書き方を勉強した。右太ももから膝関節部分をつなぐ人工関節を入れ、歩行練習を重ねた。だが医師からは接触プレーの危険性を告げられ、選手を断念。「1年入院した分、長く野球がしたかった」。野球が恋しかった。

練習が厳しいと聞いた上宮太子を選び、裏方としてチームを支える道を選んだ。「情熱を持ってやっている子」と日野利久監督(51)も信頼。26日にも人工関節を成人用に取り換える手術を予定しているが、可能な限りノックを打つ。

試合はスタンドで見守った。しゃがむ際は、人より時間がかかる。それでも、味方の好プレーがあれば何度も立ち上がった。「3年生には優しく助けてもらった。残りの時間で手伝いとかできることをしたい」。恩返しの思いをノックに込める。【望月千草】

▽学校での練習後、音野らは1時間に2本のスクールバスに駆け込むこともしばしば。そんな時は、チームメートにおんぶしてもらうことも。この日2安打2打点と活躍した金子歩誉(ほたか)内野手(2年)には、荷物を運んでもらった。金子は「足の状態もあるのに感謝しています。自分のやる気につながります」。音野への感謝も、夏の活躍につながった。

◆音野峻弥(おとの・たかや)2002年(平14)12月6日生まれ。大阪府東大阪市出身。意岐部(おきべ)小3年で野球を始めた。意岐部中では生駒ボーイズに所属し、投手。169センチ、56キロ。右投げ右打ち。