富士北稜(山梨)の宮下大空捕手(3年)は朝、初めての感覚に襲われた。家を出る時、母の茂美さんから「1勝してね」と言われた。

「頑張るよ」とは答えたが「ほとんど寝られなかった。緊張してる…」と告白した。

「大空」と書いて「だいすけ」。初対面で正しく呼ばれたことは、ない。小学生の頃は「おおぞら」と呼ばれていた。まあ、無理もない。名付け親である茂美さんが、そう狙ったのだから。

「先に『だいすけ』と音だけ決めて。すぐに覚えてもらえるように、分かりやすいものにしようと。後から良い字画の漢字を考えたんですけど、『空』は『すけ』と読めるって知って。印象に残るでしょう。大空(おおぞら)のように、大きな人間になってもらいたいなあって」。

小さい頃は、泣き虫だった。姉と妹に挟まれ、控えめな子。変わったのは、友だちに誘われ、小学3年の終わりに野球を始めてからだ。喜んで通った。「そんなこと、なかった」と母を驚かせた。体も大きくなった。180センチ、85キロ。高校通算15本塁打で、主軸を任されるまでになった。

校名が示すとおり、学校は富士山の北の麓にある。グラウンドから見ると、中堅後方にそびえ立つ。チームは1日4時間の練習のうち、半分を打撃にあてる。「センターを狙え」が合言葉。富士山に向かって打て、とばかりに全員が振り切る。成果は今春、出た。創部16年目で最高となる県8強。今夏は初のシードに入った。

午前9時半、プレーボール。スタンドには母もいた。曇り空だった。晴れていれば、ここの球場も中堅後方に富士山が見える。学校と似た環境で、宮下の緊張はほぐれていった。2回の第1打席。1死走者なしから、左翼線へ二塁打。次打者の二塁打で先制ホームを踏んだ。6回にも左越え二塁打を放ち、再び生還。「期待に応えられたかな」。

快勝で1勝目を挙げた。母の願いをかなえたが、同時に宮下自身の野球人生が伸びた。卒業したら、父譲司さん(50)と同じ会社に入り、大工の修行を始めるつもりだ。父の背中を追う。「だから、この夏が小学生から始めた野球の集大成です」。

茂美さんは今月28日が48歳の誕生日。まずは1勝を贈ったが、まだまだ。「1つだけじゃない。2つ、3つと勝って、もっと恩返ししたい。ホームランを打って、ホームランボールもあげたい。朝早く起きて、弁当を作ってくれた。仕事が忙しいのに。ユニホームも洗ってくれた」。そう言って、ちょっと目を赤くした。恥ずかしくて、これまでプレゼントなんか贈ったこと、なかった。

試合が進むにつれ、球場には夏空が広がった。中堅後方だけ雲が残り、最後まで富士山は見えなかったが、関係ない。大空の向こうには、変わらずそびえているから。【古川真弥】