<高校野球大阪大会:渋谷-成城>◇25日◇2回戦◇豊中ローズ球場

試合の裏に、高校野球ならではのドラマがあります。「心の栄冠」と題し、随時紹介します。

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車いすの球児が、公式戦で初のベンチ入りを果たした。渋谷の中川慶人(3年)は脳性まひで、生まれた時から両足と左手をうまく動かせないが、背番号15でメンバー登録された。「緊張感があって、雰囲気は想像通り。みんなを間近で応援できて、うれしかったです」。体をグイッと反らせ、笑顔で最高の時間を振り返った。

中川が生まれて1年間、母由香さんは泣いてばかりいた。「周りの子が歩き出して、これはもう無理かな、と。そこから、私も変わりました」。息子を必要以上にかばわず、極力、普通に扱うようになった。食事もスプーンなど使いやすい物を握らせ、できることは何でも自分でさせるようにした。

母の決意と姿勢が、中川を前向きにした。豊中・野畑小5年になると、中学からの部活に備え、車いすサッカーを始めた。阪神ファンで甲子園にも行ったことがあり、本当は野球部に入りたかったが、豊中第十四中になかったため、ハンドボール部へ。練習はこなせなくても、練習試合で審判をさせられた。ミスジャッジすると先輩に怒鳴られた。「めちゃめちゃ言われて、散々でした」。それでも3年夏の最後の試合、車いすのまま、サッカーのPKにあたる7メートルスローを任された。「右手で投げたら、コロコロ転がっていきました」。最初で最後のプレーは、大事な思い出だ。

渋谷では、迷わず硬式野球部に入部を希望した。上嶌(うえしま)伸次監督(38)は安全面などを考えて葛藤しながらも、受け入れを決めた。「できないことやなく、できることを一緒に見つけていこうと思いました。身体的ハンディを抱える人の道を閉ざしてはいかん。生徒にそう教えるなら、私もそうすべきです」。上嶌監督は当初、中川の遠慮がちな態度が不満で、何度もハッパをかけた。捕手の平田幸太主将(3年)ら同級生も同様だったが、今は「全く距離を感じません。普通です」(平田主将)と言える関係だ。

今月8日のメンバー発表。中川は背番号15を渡されて、驚いた。「考えてもいなかった」。しかし、上嶌監督は「必然でした」という。

「甲子園を目指すなら、彼の登録は難しいかもしれません。でも、今回はそうじゃない。ウチは2、3年で15人。(コロナ自粛の関係で)1年は6月15日に合流しましたが、中川は2年2カ月、頑張った」-。

中川はこの日初めて、公式戦用のユニホームを着た。練習では球拾いなどが主で、いつも野球部のシャツに下は学校のジャージー姿。練習試合でもベンチに入ったことがなかった。「こないだ初めて練習試合でベンチに入ったんですが、ユニホームは上を着ただけ。下は着たことなかった」。アンダーストッキングとストッキングを履く順番もわからず、仲間に聞くと「ユニホームの着方」の動画が送られて来た。

この日はノーゲームとなり、仕切り直しの成城戦へ。「今日は声を出したつもりですけど、みんなの声はもっと大きくて。僕はもっと出さなあきません」と中川は言い「ユニホームも次はもっとちゃんと着こなします」と笑った。174センチ、49キロの体にユニホームはぶかぶかでも、野球部員の証しが誇らしい。卒業後は大学進学を希望。パラリンピック公式種目でもあるボールゲーム「ボッチャ」にも挑戦したい。その前に、大声で高校最後の夏を完全燃焼する。【加藤裕一】