佐久長聖の藤原弘介監督(46)が初回に動いた。

相手は飯山・常田唯斗投手(3年)。最速146キロのプロ注目右腕だ。8日、佐久長聖は決勝の相手が本格右腕に決まると、至近距離の12メートルから野手が全力で投げ込むボールを打ち込んだ。わずか2日の練習だが、選手に意図は伝わっていた。

初回。山田大介外野手(3年)、花村昴哉内野手(3年)が積極的に常田のストレートに食らい付く。ともに打ち取られたが、すぐに後続打者に情報は伝えられた。花村は「速いボールに目を慣らしてきたので、常田のボールはそれほどいいとは思えませんでした。だから、ストレートをどんどん狙っていいと言いました」。

常田自身もストレートに力が伝わらないもどかしさを感じていた。「抜ける感じがしていました。腕の張りも気になっていました。でも、相手はどんどん振ってきた。ストレートも変化球も。それは初回にすぐに感じました」。2死から主将の藤原太郎内野手(3年)がピッチャー返しで出塁する。

2死一塁。ここで藤原監督は4番堀恭輔外野手(3年)のカウントが1-0になるとランエンドヒットのサインで試合を動かす。「堀は準決勝まで、なかなか積極的にバットを振らないでいたものですから、サインを出して振らせようと思いました」。堀も「サインが出て、バットが振りやすくなりました」と意思がかみ合った。

2球目のストレートを左翼フェンス直撃の二塁打。スタートを切っていた藤原は判断よく一塁から一気に生還。好投手常田から先手を奪い、士気は上がる。さらに連打を重ねて2点目を奪い、なお2死二、三塁で、7番野沢佑太内野手(3年)の初球に、藤原監督はセーフティースクイズを選択する。「人工芝の場合はうまく転がすと処理が難しくなる。飯山さんのサードは準決勝で暴投していましたし、何か起こるかなと思いました」。

野沢はセーフティースクイズのサインを見て、三塁線を狙った。「もともと足には自信がありました。常田が捕球しましたが、タイミング的にはいけると思って走りました」。常田の送球よりも速く一塁を駆け抜け、たたみかける3点目が入った。

事実上、試合はここで勝負がついた。佐久長聖は、エース梅野峻介(3年)が落ち着いたマウンドさばきで散発2安打。出塁した一塁走者を3度けん制で刺し、精神的に優位に立ったまま終盤まで危なげなく投げ切った。

その梅野は5月20日、途方に暮れていた。甲子園大会の中止が決まり、絶望の底にいた。翌日の放課後、チームメートは練習に向かうが気持ちが切り替わらず、部屋から出る気力が出てこない。「みんなも同じ気持ちなのに、きちんとグランドに行っていたので、自分もそうしなければと、分かってはいたんですが、どうしてもそんな気持ちになれなくて」。

すると、藤原監督が部屋を訪れ、厳しく叱責(しっせき)を受けた。「お前がやらなくてどうするんだ」。当時を思い出した梅野は、恥ずかしそうに笑いながら振り返った。「監督さんに、厳しく言ってもらいました。でも、そうやってきつく言ってもらって、気持ちの切り替えができたんだと、後になって感じるようになりました。スイッチがもう1度入ったんですね」。

佐久長聖は3年生52人を、独自大会を通じて全員ベンチ入りさせた。ベンチ入り登録変更の緩和によって実現できた。確かに、甲子園大会が中止になった3年生の不遇を思えばこその特別ルールだが、藤原監督は「ないものはないんです。悲しいことではあります。でも、野球に真剣に向き合い、学校生活に真剣に向き合ったから、こうして最後は勝って涙になったと思います」と、特別な環境で勝ち取った頂点の味を表現した。

花村は試合後、長野王者になっても先がないむなしさを、こう表現した。「甲子園がないからこそ、僕たちには勝ったことに意味があるんです」。最後の練習まで、3年生52人が懸命に汗にまみれた先に、甲子園という「夢」につながらない優勝があった。

藤原監督は勝利チーム監督インタビューで、かすかに上ずった声であいさつした。「こうして区切りの大会をすることができました。大会を開催するために力を尽くしてくださった方々に感謝を申し上げます。最後の最後まで真剣勝負をすることができました。3年生で勝ち取った優勝を心からうれしく思います」。父母からの歓声はない。ただ、心がこもった拍手が、長野オリンピックスタジアムに鳴り響いていた。