今秋ドラフト上位候補で最速152キロ右腕の市和歌山・小園健太投手(3年)が甲子園デビューを堂々の完封勝利で飾った。130球の熱投で4安打8奪三振。この日の最速は複数のプロ球団のスピードガンで148キロ(球場表示は147キロ)だったが県岐阜商の狙い球を外し、配球を切り替えるクレバーさが光った。敵将の鍛治舎巧監督(69)がバントを多用する采配も封じ込め、サヨナラ勝ちに貢献。今大会初完封で「小園の春」になりそうな予感だ。

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「1-0」はエースの勲章だ。両校無得点の8回。2死走者なしから2四球を与えた。伊藤に初球を投げた後、敵将の鍛治舎監督が代打を告げる。打席途中の代打はこの日、2度目だった。奇策にも動じない。行方を外角スライダーで空を切らせて、危機を脱した。

「僕としては途中、代わってくれた方が初見でありがたかった。打ち気をそらす投球を心掛けました」

したたかになれる。甲子園デビュー。「少し舞い上がってしまった」。1回の先頭に四球。球は上ずり、3回先頭には宝刀カットボールで安打を許した。「チェンジアップも振ってくれない。カットとか小さい変化球を狙われた」。中盤からスライダーを多投。狙いを外す、クレバーな投球を見せつけた。

窮地で踏ん張れる。9回のうち、6回で得点圏に走者を許した。実に5犠打。だが「二塁に走者を背負ってもバントはありがたかった」と動じなかった。17歳が百戦錬磨の知将の采配を封じ込めた。

大阪府内の自宅の自室では、壁に1枚の布を貼っている。背番号の「18」は原点だ。19年7月26日。夏の和歌山大会準々決勝で南部戦に惜敗した。決勝打を浴びたのは1年生の小園だった。中学で無敵だった速球を打ち砕かれた。試合後、ベンチから立ち上がれなかった。バスの中でも泣き続けた。帰り道、父宏幸さん(48)に「速球だけやったら高校野球、通用せえへん。これから先、速球を生かす投球を覚えなあかんのと違うか」と諭された。

数日後、傷心の小園は両親に打ち明けた。「人生で一番、悔しかった。3年生を引退させてしまった」。武器のツーシーム、カットボールを磨くキッカケだった。小園は言う。「決め球は速球しかなかった。打者に限りなく速球に見える変化球を意識している」。屈辱を力に変え、今がある。

あの日の背番号18が初めて黒土を踏んだ。「すごく投げやすいマウンド」。年明けには「ドラフト1位が1つの目標です」と言い切った。12球団のスカウトが集結する前で、背番号1が輝いていた。【酒井俊作】

▽市和歌山・半田真一監督(小園について)「四球を出す投手じゃないが、今日は6つあった。苦しい展開を自分で作った。初回、帰ってきて『すごく緊張しています』と言っていた」

◆小園健太(こぞの・けんた)2003年(平15)4月9日、大阪・貝塚市生まれ。小学1年からR・I・C・Aで軟式野球を始める。貝塚一中では貝塚ヤングに所属し、高校でもバッテリーを組む松川虎生と全国制覇を経験。市和歌山では1年春からベンチ入り。50メートル走6秒7、遠投120メートル。特技は書道、料理。184センチ、90キロ。右投げ右打ち。

◆サヨナラ1-0完封 市和歌山・小園がスコア1-0の完封勝利をサヨナラ勝ちで記録。センバツのサヨナラ1-0完封は18年の伊藤翼(花巻東)が彦根東戦(延長10回)でマークして以来。伊藤は2番手だったが1回無死から救援しており、完投ではないが規則により完封が記録された。完投では10年の有原航平(広陵=対宮崎工)以来。

◆サヨナラ完封2試合 市和歌山と広島新庄が、ともにサヨナラ勝ちで完封勝利。1大会2度のサヨナラ完封試合はセンバツ史上初。1日2度は夏の大会を含めても初めて。

◆小園の走者得点圏 小園は2~4回、7~9回に走者を得点圏に背負ったが、計9打数無安打(4三振)で切り抜けた。

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