インコのピノちゃんにささげる1発だった。

東海大菅生・鈴木悠平外野手(2年)が2回、先頭で先制ソロを放った。カウント3-1から高めスライダーを振り抜くと、左翼ポールを巻いた。開幕から13試合目で、やっと出た大会1号。昨秋はメンバー外だったが、打力の成長を買われ、抜てきされた。これが公式戦初出場で、まだ高校通算3本塁打目。「びっくりしました。歓声がいっぱい聞こえてきて。夢のようでした」と振り返った。

アルプスでは母徳美さん(43)はじめ、親戚たちが見守っていた。1人の手に、お手製のお守りが握られていた。中には、鳥の羽が入っていた。鈴木悠が小学5年生の頃から飼っていたインコのピノちゃんの羽だ。今月11日、病気のため6歳で亡くなった。大阪の実家で飼われていたため、徳美さんは東京にいる息子に知らせるべきか、迷った。

すると、たまたま、その日に電話がかかってきた。「お母さん、センバツのメンバーに入ったから! 甲子園、行けるから!」。声を弾ませる息子。ピノちゃんのことを伝えないわけにもいかなかった。「ウソやろ…。(実家に)帰るまで生きていて欲しかった」。悲しみをこらえ、甲子園での活躍を誓った。

鈴木悠にとって、ピノちゃんは掛け替えのない存在だった。「野球での悩み事を語り掛けてました」。つぶらな瞳で、じっと聞いてくれた。自分のことを「ピノちゃん。ピノちゃん」と話す、かわいい子だった。試合は3回、千田がセンバツ通算800号となる2ラン。鈴木悠が火を付け、初戦突破に導いた。

初めての甲子園で、貴重な仕事をした。チーム内では、まだ大会1号が出ていないことが話題になっていたという。「自分が打てて、うれしいです。甲子園という大舞台でホームランを打ちたいと思っていました」と喜びを隠さない。ただ、すぐにこう続けた。「でも、イメージしてたホームランとは違いました。切れるか、切れないかという当たりだったので。次は、打った瞬間、安心してベースランニングできるようにしたいです」。ピノちゃんも、そんな当たりを待っている。【古川真弥】

◆遅い1号 開幕13試合目で大会初本塁打。13試合目以降の1号は74年(20試合目)以来。75年の金属バット採用後は93年の9試合目を上回り最も遅かった。

◆記念アーチ 東海大菅生・鈴木悠の本塁打は、センバツでの令和初アーチ。千田の1発は大会通算800号になった。

▽東海大菅生・千田(3回にセンバツ通算800号)「(2回に大会1号を打った鈴木悠と)何を打ったか情報共有できたので、自分の本塁打にもつながったと思う。800号は言われるまで知りませんでした」

 

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