8日の札幌地区初戦、恵庭南戦が、監督就任後、初の公式戦となる。10人のメンバーが集まり、2年ぶりの単独参戦にこぎつけた。新入生や初心者もいる中での初陣に「正直、不安はある。でも、とにかく子どもたちが、精いっぱいやってくれたら」と話す。

大学卒業後、三重で公立校の教員になり野球部の監督も務めたが「環境を変えたかった」と00年春に1度、教職を離れ、父の故郷でもある北海道に単身、渡った。帯広でアルバイト生活、北見で専門学校の臨時講師などを務めながら勉強し、03年に道教職採用試験に合格。04年に真狩に赴任し、再び教員となった。

真狩、根室、女満別で野球部を指導。部員不足での出場辞退や、部員1人と向き合ったこともあった。真狩監督に就任した06年春には「日本一の真剣さを知ってもらいたい」と、夏の甲子園2連覇中で田中将大(現楽天)擁する駒大苫小牧に練習試合を申し込んだ。結果は9回で0-47と大敗も「もっとやらなきゃという子が出てきた」。この練習試合に出場したメンバーが3年生になった08年春の小樽地区予選で2勝し、夏も1勝を挙げた。子どもたちの心の変化を見届けた。

自身も部員の少ない公立校で甲子園を目指した。四日市商では2年秋、3年春は人数不足で出場辞退。3年夏、9人で県大会1勝を挙げ強豪・菰野に敗れた。「試合ができない間も、今に見ていろと練習に打ち込んでいた」。どんな環境でも、真剣に取り組めば、得られるものがあることを、身をもって学んできた。

大切にするのは「それぞれの高校野球があり、目標がある。そこに向け、いかにこだわれるか」。人数、環境、キャリア、技術に差はあっても成長の歩幅は努力次第。この春も、壁を乗り越えながら大人になっていく球児の姿を、見守り続ける。【永野高輔】

◆木戸義典(きど・よしすけ)1975年(昭和50)10月15日、三重・四日市市生まれ。捕手で主将も務めた四日市商3年夏の三重県大会は3回戦敗退。東亜大(山口)卒業後、三重で教員となり、98年から県内の公立校監督を経験。00年春に帯広に単身移住。アルバイト生活を経て03年に北海道教職採用試験合格。04年に真狩に赴任し、根室(10年~)、女満別(14年~)に続き20年春から野幌で教壇に立つ。今春から同高野球部監督。担当教科は商業。家族は妻と1男。