樟南が鹿児島実を下し16年以来、県勢最多20回目の夏甲子園出場を決めた。実家が浄土真宗のお寺、善妙寺の“一休さん”こと、エース西田恒河(ごうが)投手(3年)が、全6戦に先発し、9回では今夏初完封で貢献した。

西田が、新球スプリットで優勝候補の鹿児島実を手玉に取った。5月の県選抜大会準々決勝など、これまで県内の公式戦で「3回やって3回負けた」という宿命のライバルに勝つため、封印していた新球を解禁し勝負に出た。

「落ちる系のチェンジアップが当てられてポテンヒットになることがあり、空振りが取りたいと思っていた」と、6月に高速で縦に鋭く落ちる球を、人さし指と中指で浅く挟む形で習得。以来、県内の高校との練習試合でも使わず、大一番で新兵器として使うために隠し続けてきた。

特に「右打者に三振が欲しいときに使った」と言い、2回無死から121キロスプリットで2者連続空振り三振に仕留めるなど威力を発揮。スライダー、カットボール、ツーシームなど多彩な変化球のバリエーションが増えたことで、強打の相手から8三振を奪い、7安打で9回では今夏初完封だ。

決勝も“仏の教え”で精神を統一。マウンドに上がる度、「落ち着いて勝てるよう集中するため」という投球前に左手でプレートに「勝」と書くルーティンで気持ちを落ち着かせた。

24日の準決勝後、宮之城中野球部でチームメートだったセンバツ準優勝の明豊、太田虎次朗投手(3年)と電話で話し、激励し合ったという。明豊は25日に大分大会で優勝。夏の県大会前に「甲子園で戦おう」と約束しただけに、今度は自分の番と燃えた。甲子園では「失点しないで、チームを勝たせる投球をしたい」と、甲子園でも快投で勝利をつかむ。【菊川光一】

◆樟南 1883年(明16)博約義塾として創立の男女共学私立校。1994年に鹿児島商工から現校名。普通科、商業科、工業科があり、生徒数は1179人(女子544人)。野球部は1954年創部。部員50人(マネジャー3人)。甲子園は春7度、夏は16年以来20度目で94年準優勝が最高。主な卒業生に鶴岡慎也(日本ハム)浜屋将太(西武)ら。鹿児島市武岡1の120の1。山崎隆志校長。