<全国高校野球選手権:仙台育英8-1下関国際>◇22日◇決勝

仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を下し、春夏通じて初優勝を果たした。東北勢としても春夏通じて13度目の挑戦で初優勝となり、悲願の「白河越え」を遂げた。

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あの夏も暑く、そして熱かった。1989年、平成最初の夏の甲子園。仙台育英が準優勝し、東北が沸いた。もっともその盛り上がりを知ったのは後日。SNSなどない時代。甲子園で取材していた記者も、仙台育英ナインも、どれだけ地元で騒がれていたのか、知る由もなかった。そんな中、甲子園での6試合すべて1人で投げきったエースの大越基とはなぜか気が合い、取材というより、毎日冗談を言い合っていた。

あれは準決勝で尽誠学園に勝った後だったと思う。大越が「もう帰りたいっすよ。仙台に戻って魚が食べたい」と試合後の宿舎でぽつりとこぼした。「あと1試合だろ。仙台に帰ったら、すしでもごちそうするから、頑張れよ」「マジっすか、絶対ですからね! 約束ですよ!」。すしをおごる、という言葉に急に元気になった大越に、思わず笑ってしまった。

地元での盛り上がりを知ったのは、仙台駅に着いたときのことだった。帰りの新幹線、確か郡山を過ぎたあたりだった。選手とだべっていると、誰かが報告にきた。「今、仙台駅がすごいことになってるって。ものすごい数の人が駆けつけているらしい」。その通りだった。ホームの中はもちろん、仙台駅の前のペデストリアンデッキまで、1万人以上が、ナインを迎えに来ていた。あの光景は、今でも忘れられない。

大越にすしをごちそうするという約束が果たせたのは、その年の冬だった。人の財布の中身を全く気にせず、大トロばかり注文する彼に軽くいらついていると、今まですしを握ってくれていたお店の方が話しかけてきた。「大越くんでしょ? 大越くんだよね。先ほどまであそこにいたお客さんから、好きなだけ食べさせてあげて、とお金をいただいたんだ。どんどん食べてね」。さすがに準優勝の熱気も落ち着いたと思っていたが、そんなことはなかった。季節が変わっても、誰もが仙台育英が与えた感動、大越の活躍をしっかりと覚えていた。

今年、やっと東北はあの年以上の夏になった。当時入社2年目、記者1年目だった自分が、今はもう定年が近い。プロ野球は故郷の北海道のチームを応援しているが、高校野球はあの夏以来、東北地方の高校を応援してきた。今日は大好きな東北の地酒で、昔の思い出とともに静かに祝杯をあげたい。多分、泣くな。うん、絶対に泣く。【88~92年東北支社 三上広隆】