春夏通算100校目の初優勝で、甲子園の優勝旗が白河の関を越える。仙台育英(宮城)が下関国際(山口)に快勝。東北勢が阻まれ続けた決勝の壁を「13度目の正直」で乗り越えた。同校OBの須江航監督(39)が18年就任から掲げるスローガン「日本一からの招待」の下、東北を中心に集結したナインが躍動。1915年(大4)第1回大会の秋田中(現秋田高)の準優勝から108年目の夏に、歓喜の瞬間が訪れた。

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封印のように閉ざされていた白河の関を、仙台育英がこじ開けた。3年ぶり有観客の夏。7点リードの9回、アウトを重ねるごとに観客も拍手。誰もがその瞬間を待ちわびた。そして2死一、三塁から、三ゴロで悲願成就。ナインは一目散にマウンドに向かって喜びを爆発させ、須江監督はベンチ前で両腕を突き上げ、男泣きした。

「宮城、東北のみなさんおめでとうございます。これは僕らの快挙だけではなく、12回の甲子園決勝にたどり着いたすべての選手と指導者の情熱のたまものです。最終的に僕らが越えたことはとても誇らしいですけど、東北すべての人間の勝利だと思います」

決勝も王者にふさわしい戦いだった。4回に4番斎藤陽の右前適時打で先制。その後も着実に加点した。5人の豪華投手陣が注目されたが、打線も5試合中4試合で2桁安打。守備でも5回無死一、二塁、極端なバントシフトで重圧をかけ、三塁封殺などで失点を防いだ。佐藤主将は「東北初の日本一をとりたいと思って入学したので、最後の大会で悔し涙ではなく、最高の仲間とうれし涙を流せた」と喜んだ。

東北勢トップの春夏通算55勝。日本一から招かれるようなチームを目指す名門に、高い志を持った選手が入部する。東北出身はベンチ入り18人中16人で、秋田を除く5県にちらばる。部内では約7割を東北6県出身者が占める。埼玉出身の指揮官はいつも「本当に東北は1つだと思って常々やっています」と、“東北一体”を感じてきた。

大谷翔平、ダルビッシュ有、菊池雄星ら逸材もつかめなかった大旗。須江監督は以前、優勝旗を持ち帰る意味についてこう話した。

「この何十年間、その時々で東北と日本一までの距離が近づいたり、離れたりしていたと思うんですけど、どこかが(日本一を)成し遂げてしまえば、僕は続くと思っています。そのどこかが、自分たちであればいいなと思います」

秋田中の初出場から、東北勢のべ546校目の挑戦で頂点へと上り詰めた。新チームには4番までの上位打線3人と正捕手、さらに準決勝でリレーした3投手も残る。斎藤陽は「一試合一試合、成長を実感できた。またここに戻ってきて、自分たちの代でも絶対に日本一をとりたい」と宣言した。「白河越え」の呪縛を解いて、さらに充実しそうな戦力に、黄金時代の到来さえ予感させた。【相沢孔志】

◆須江航(すえ・わたる)1983年(昭58)4月9日生まれ、さいたま市出身。小2で野球を始め、鳩山中(埼玉)から仙台育英入学。2年秋から学生コーチとなり、3年春夏の甲子園に出場(春は準優勝)。八戸大(現八戸学院大)でも学生コーチを務めた。06年から仙台育英系列の秀光中野球部監督となり、14年に全国制覇。18年1月から仙台育英に就任。1年目の夏から甲子園に出場した。情報科教諭。

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