栃木国体の優勝後、カメラマンが大阪桐蔭の記念写真を撮っていた。輪がとけて、プロ志望届を提出した松尾ら3選手のスリーショットになった。

そそくさと離れる主将の星子天真内野手(3年)に向かって、西谷浩一監督(53)が冗談をいう。「願書を出すやないか!」。進学を目指すリーダーへの愛情に聞こえた。

10月5日。聖光学院(福島)を下した試合後、西谷監督は場内インタビューで話す。「私が指導してきたなかでは、この学年が3年間で一番伸びた学年」。中心として信頼したのが主将の星子だった。「去年のいま頃は、本当に大阪で勝てるのか…」と心配したという。泥くさく戦い、昨秋の明治神宮大会、春のセンバツに続き3冠を達成した。

高校野球の監督は毎年、新しい組織をつくる。主将が要になる。西谷監督は3年前から、星子にリーダーとしての資質を感じとっていた。「この子がキャプテンになるんじゃないかと。大人と話をしても、しっかり目を見て話をできる」。高校入学時、その所作にキャプテンシーを見抜いた。

だが、ネックもあった。なかなかメンバーに入れなかった。星子も言う。「1年生の頃から、うまく上の学年に入ることができなくて、ダメなんだろうかという気持ちを毎日持って…」。心の支えになったのが野球ノートだ。選手と監督の交換日誌のようなもの。下級生のころ、西谷監督が書いた言葉が心に刺さった。

「存在感が足りない。どこにいるか分からない」

猛者の集まりだ。ともすれば、168センチの小柄な体は埋もれてしまう。存在感-。野球ノートに何度も書かれた言葉は、将来の主将と見込むからこそ、期待の裏返しでもあった。2年の秋からメンバー入りし、主力として奮闘してきた。「まだまだ足りないぞと常に言われて。それが頑張れる源になった」と感謝した。

夏の甲子園は準々決勝で下関国際(山口)に悪夢の逆転負け。国体で雪辱し、高校ラストゲームも終わった。2年半で一番、伸びたのはどこか。問うと、星子は同じ言葉を繰り返した。

「1人の野球人として何をしないといけないのか、どういう選手が応援されるのか。『最後は人間』と西谷先生は常におっしゃっていて、入寮したてのころはまったく意味が分からなかった。いまになって『最後は人間』という言葉が印象的で、これからも大切にしていきたい」

10月9日。もう星子がいない新チームは関西創価を下し、秋季近畿大会出場を決めた。誰もいなくなった試合後、黄色いショルダーバッグをかけた西谷監督が、たった1人で大阪シティ信用金庫スタジアムの事務所に入っていった。球場職員に頭を下げていた。きっと球場を使わせてもらった、お礼なのだろう。この2年、アマチュア野球担当として大阪桐蔭の「強さ」を追ってきた。キャプテンが言っている意味がよく分かった。