底力で戦国千葉を37年ぶりに完全制覇した。

今春のセンバツにも出場した専大松戸が、8-7のサヨナラで習志野を振り切り、2年ぶり3度目の夏甲子園出場をつかんだ。最速151キロ右腕のエース平野大地投手(3年)を不調で欠き、4番の吉田慶剛捕手(3年)も死球で交代。投打の主力を欠いても、選手層の厚さを見せて2度の逆転劇を演じた。千葉では86年の拓大紅陵以来となる、新チーム発足から秋春夏の県公式戦完全Vの快挙を達成した。

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千葉の絶対王者で終わるためには、負けるわけにはいかなかった。「もう1度、甲子園に行くぞ」。センバツ終了後、仲間たちと誓った言葉が専大松戸ナインの背中を押した。同点で迎えた9回2死二塁。9番宮尾日向内野手(3年)は「みんながついている。気楽にいけました」と変化球を振り切ると、打球は右中間を真っ二つに割った。ベンチから飛び出した選手たちがホームベース横に集まり、二塁走者の太田遥斗外野手(3年)を迎え入れると、歓喜の輪が広がった。

一進一退の苦しい展開も、誰も下を向かなかった。先発の梅沢翔大投手(2年)が2回1/3を4失点。3回途中から救援した青野流果(るか)投手(3年)に、死球で右肘を負傷しベンチに下がった吉田が声をかけた。「ピンチになったらベンチを見ろ。みんなで支えてやるから」。走者を背負いベンチを見ると平野、吉田ら、みんな笑顔。「気楽に投げることができました」。キレのある真っすぐで打たせて取り、10安打されながらも3失点。粘りの投球を見せた。

春季関東大会後、練習試合では負けが続いた。大森准弥内野手(3年)は「ただ勝ちたい、という気持ちだけで、自分たちはできる、というおごりがあった」。秋は必死に食らい付き、1球1球を大切にした。原点回帰で取り組み、学年関係なく、何でも言い合える関係性を築いた。時には厳しい言葉も「チームのため」と前を向いた。青野は「マウンドに上がった以上は自分がエース。俺が俺がじゃなく、長所を生かし結果を出せてうれしい」と胸を張った。

日替わりヒーローも生まれた今大会。大森は「ベンチ外の選手も、ボールボーイの選手も、笑顔で支えてくれて気持ちが伝わった。全員で勝ち取った優勝です」。県内公式戦は無傷の20連勝で締め、堂々と甲子園に帰る。【保坂淑子】

○…平野は何度もベンチ前でキャッチボールをするなど登板をアピールしたが、決勝のマウンドには上がらなかった。準決勝の志学館戦で2回1/3を2四死球もあり4失点。持丸修一監督(75)は「四死球がある投手はトーナメントでは難しい」と、その理由を明かした。平野は前日26日に投げ込みを行い、「感覚が戻ってきた」と調子は上向き。「甲子園では悔いなく戦いたい」と、聖地での復活を誓った。

◆専大松戸 1959年(昭34)に専大の付属校として創立された私立校。生徒数は1286人(女子481人)。野球部も創立と同時に創部。部員数は62人。甲子園出場は春が2度、夏は3度。今春、8強入り。夏勝利は21年夏。主な卒業生は日本ハム上沢直之、ソフトバンク高橋礼、オリックス渡辺大樹ら。千葉県松戸市上本郷2の3621。五味光校長。

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