慶応(神奈川)が仙台育英(宮城)を破り1916年(大正5年)の第2回大会以来、107年ぶり2度目の優勝を果たした。仙台育英は史上7校目の連覇を逃した。

1回表、1番丸田湊斗外野手(3年)の大会史上初となる決勝戦の先頭打者本塁打などで2点を先制。2回にも丸田の適時打で1点を加えた。その後1点差に迫られたが5回にビッグイニング。2死一塁から7番福井直睦内野手(3年)の適時二塁打、代打安達英輝(3年)の適時二塁打、さらに敵失も絡み打者一巡の猛攻で5得点。8-2とリードを広げた。

甲子園歴代最多13本塁打の清原和博氏の次男・勝児内野手(3年)は9回に代打で出場、四球を選んだ。父はPL学園時代、1年夏と3年夏に全国制覇。父に続き次男も優勝を果たした。

先発の鈴木佳門(2年)は4回を2失点。5回から登板した小宅雅己(2年)が無失点に抑え優勝投手となった。

仙台育英は3回に1点差に迫ったが4回、無死二塁の好機を生かせず追いつけず。5回に大量5点を奪われ突き放された。昨夏、今夏とチームを支えてきた湯田統真(3年)、高橋煌稀(3年)の両投手が慶応打線の勢いを止めきれなかった。それでも連覇こそ逃したが準優勝。東北勢は史上初めて3校が8強入りするなど今年もレベルの高さを証明した。

◆慶応 1858年(安政5)に創設された蘭学塾が前身の私立校。高等学校は新制高校として1948年(昭23)に開設された。生徒数は2180人(うち女子0人)、野球部は1888年(明21)年に創部で部員数は107人。甲子園出場は春10度、夏は19度目。主な卒業生は楽天津留崎大成、ソフトバンク柳町達、ヤクルト木沢尚文。所在地は横浜市港北区日吉4の1の2。阿久沢武史校長。