171年の歴史で初の聖地へ。40年ぶり近畿大会出場の耐久が「耐えて耐えて」社に逆転勝利。8強入りを果たし、甲子園初出場へ前進した。
創立はペリー来航の1年前。1852年(嘉永5年)に現在の広川町に人材育成の稽古場として創設。野球部も1905年(明38)創部という長い歴史を持つが、甲子園出場は果たせていない。秋の和歌山大会を初優勝し、近畿大会に乗り込んだ。
2-3の8回1死満塁の好機。4番岡川翔建外野手(2年)は3ボール1ストライクから直球を振り抜き、走者一掃の中越え適時二塁打を放った。「甘い球が来たら打とうと。タッチアップを考えたけど、越えてすごくうれしかったです」と笑みがこぼれた。
投げては快進撃を支えてきたエースの冷水(しみず)孝輔投手(2年)が4失点の粘投。2点差の9回に犠飛で1点差に迫られ、なお2死一、三塁のピンチを迎えたが、盗塁死で試合終了。拳を握り、仲間と喜びを分かち合った。
井原正善監督(39)は「なんとか全員で踏ん張ってひとつ勝てたことは大きな財産。最少失点で切り抜けたことが、名前のごとく勝因だと思います」とたたえた。
部員は19人。練習は夕方4時から8時までで、グラウンドは他部活動と共用だ。6時半まではダイヤモンドより少し広い面積しか使えないため、外野手はサイドのスペースを使ってノックを受ける。6時半以降に照明を点灯させ、打撃練習や中継守備の練習を行う。練習時間を確保するため、朝は7時から1時間弱、打撃練習に取り組む。さらに、部員は全員、県内の近隣から通学。岡川も「地元の高校に行きたい」と同校に入った。
快進撃の要因を岡川は「皆さんの応援のおかげです」と感謝。学校から球場まで100キロ超えの距離も、1塁側スタンドには学校関係者など大勢が訪れた。地元の声援を背に勝利を続ける耐久ナイン。6つの元号の歴史を重ね、初めての甲子園へ。29日の準々決勝では須磨翔風(兵庫2位)と対戦する。【村松万里子】

