緑豊かな温泉街にある老舗旅館のおかみが、苦境に立つ球児を支えている。福島・二本松市の岳(だけ)温泉にある「陽日(ゆい)の郷(さと)あづま館」。浪江町民約260人が避難生活を送る、この旅館で、おかみの鈴木美砂子さん(59)は浪江の3年生4人を受け入れている。

 午後8時半すぎ。携帯電話に「今から帰ります」のメールを受信した鈴木さんが、夕食の準備に取り掛かった。「息子が4人できたみたいで」。しばらくして練習を終えた4人が戻ってくる。「おかえりなさい」。笑顔で出迎えた。

 福島第1原発の事故で、校舎への立ち入りができなくなった浪江の生徒は福島県内の2校に分かれた。「浪高のユニホームを着たい」。転校を余儀なくされた4人を除く16人の部員は、二本松市の安達で授業を受ける。そのうち4人の3年生は、この旅館で暮らせなければ、浪江での最後の夏はなかったかもしれない。

 震災直後、中里顕之と小丸佳久は、家族と一緒に埼玉・加須市に避難した。「もう、夏は無理だ」。仲間との別れもなかば覚悟した。そんな矢先、携帯電話が鳴った。紺野勇樹監督(29)からだった。「一緒に野球をやろう」。手を尽くし旅館の10畳1間の和室を用意してくれたという。迷いはなかった。電話を受けて5日後の4月25日には新生活を始めた。その3日後、いわき市に避難していた主将の佐藤大悟と、エースの志賀友輔が加わった。

 午前5時。鈴木さんは4人分の弁当をこしらえ始める。「食べ盛りの高校生が、コンビニのお弁当じゃダメ」。おにぎり3つ、2段重ねの弁当箱を渡す。おのおのの好みを把握し、トマト嫌いの中里には、好物の芋類を多くするなど工夫をこらす。3人の実子はすでに成人し、家を出て働いている。「お弁当を作るなんて久しぶりで。最初よりもご飯を食べるようになって、顔も引き締まってきたんですよ」。佐藤は言う。「ご飯もおいしいし、鈴木さんはお母さんみたいな存在です」。

 浪江は7月14日の1回戦で湖南と対戦する。鈴木さんは旅館に避難している浪江町民と、横断幕を持って応援に向かうつもりだ。「努力してきたことを全て出し切ってほしい」。4人の共同生活は大会が終わるまで。真っ黒に日焼けした“息子”たちの姿が少しでも長く見られるようにと願っている。【今井恵太】