<高校野球宮城大会:志津川7-3岩ケ崎>◇10日◇1回戦

 3年生全員がそろった志津川が岩ケ崎を下し、2回戦に駒を進めた。震災後、仙台東に転校した阿部浩夢外野手(3年)は、大会直前に志津川に戻り、この日は5番右翼で先発出場。4打数無安打だったが、全員で愛着のあるユニホームに身を包み、1勝をつかみ取った。

 志津川の校歌が、雨上がりのKスタ宮城に響き渡った。選手は、三塁側のスタンドへ、同校がある南三陸町へ届けとばかりに、大声で歌った。三浦亮太主将(3年)は「いろんな人の支援を受けた。今後も、感謝の気持ちを持ってやっていきたい」とかみしめるように言った。

 前日9日の開会式後、学校の体育館で避難生活を送る人たちが、壮行会を開いてくれた。校庭には仮設校舎が立ち、生徒は上沼と登米に分かれ、野球部は登米市の球場を借りている。百々智之監督(32)は「誰も悪くないのに、迷惑かけてごめんねと言ってくれて…」と声を詰まらせた。三浦主将は「プレッシャーもあったけど、勝てて良かった」。試合後にかけられた「おめでとう」の一言が、何よりうれしかった。

 大会直前、1度チームを去った男が戻ってきた。この日、5番右翼で先発した阿部は自宅が被災し、4月中旬に仙台東へ転校。だが、仲間のことを思うと野球はできない。悶々(もんもん)としていると、志津川の仲間から連絡が入る。「今度、仙台で練習試合をするよ」。6月上旬、志津川-仙台西の練習試合に足を運ぶと、我慢できなかった。百々監督に直訴し、大会直前で再転校。同22日の登録期限に間に合い、背番号20をもらった。震災前は4番打者。3年生で唯一転校した男は、志津川に戻ってきた。「チームの一員になれた気がします」。やっぱり「志津川」と刻まれたユニホームは、最高の着心地だった。

 13日の2回戦は、センバツ出場の東北と激突する。三浦主将は「相手がどこだろうと、自信をもってやる。甲子園で恩返しがしたいんです」と言い切った。【今井恵太】