<高校野球兵庫大会:報徳学園4-1八鹿>◇13日◇2回戦◇明石トーカロ

 報徳学園の田村伊知郎投手(3年)が、今夏初戦で無四球1失点完投勝ちした。10年夏の甲子園でスーパー1年生としてチームを4強に導いたが、絶対エースとして迎える最後の夏を好発進した。

 進化したイチローが、夏のマウンドに戻って来た。5安打8奪三振1失点完投で、四死球はゼロ。ボールが先行しても、投手有利のカウントに立て直した。「2ボールになっても小手先でいかず、しっかり腕を振って投げる。日ごろ練習してきたことが生きました」と振り返った。「とにかく勝つことが大事ですから」と、田村は力を込めた。

 直球で押す投球が理想だった。だが7月1日の練習試合・東福岡戦でその思いを打ち砕かれた。7回6失点。今秋ドラフト1位候補の森雄大投手(3年)に投げ負けた。試合後、永田裕治監督(48)に厳しく叱責(しっせき)された。

 田村のこだわりを知り、直球を磨くための田村の努力をだれより知る監督に「森君とは違うんやぞ」と言われた。チームの勝ちにつながる投球ではなく、相手エースに投げ勝とうと、力でねじ伏せようとしていた。「自分1人で野球をやっているんやない。勝てる投手にならないといかん。そのためにどうすればいいのか、よく考えなさい」。そう言われた。

 永田監督からすれば、経験から生まれた叱責(しっせき)だった。報徳学園3年の選抜大会で、槙原寛己を擁する大府(愛知)に惜敗。自チームのエース金村義明(現野球解説者)がその経験をどう生かし、その夏の甲子園優勝投手になる軌跡をすぐそばで見てきた。1年春からベンチに加えた愛弟子の田村が高校最後の夏は勝って笑えるよう、心を尽くした助言だった。

 この日、1点を失った直後の5回2死から完全投球。低めに球を集め、スライダーをまじえて後半4回で6奪三振。最速は自己最速に5キロ及ばない142キロにとどまったが、味方打線が追加点を奪えない中、安定していた。直球へのこだわりはなくしはしない。ただ「チームが勝つために自分が何が出来るかを考えて投げていきたい」。背番号1の重みを田村は知っている。【堀まどか】

 ◆田村伊知郎(たむら・いちろう)1994年(平6)9月19日、神戸市生まれ。箕谷小2年から「箕谷少年野球部」で捕手として野球を始める。山田中では軟式野球部に所属し、1年から投手に転向。高校では1年春から背番号18でベンチ入り。1年夏、2年春に甲子園出場。好きな選手はペドロ・マルティネス。遠投100メートル。171センチ、70キロ。右投げ左打ち。