<全国高校野球選手権:常葉学園菊川5-3有田工>◇14日◇2回戦

 有田工(佐賀)の創部114年目での初甲子園が終わった。エース古川が序盤に変化球を狙われ5失点。最後の打者となった古川は遊ゴロに倒れ、ヘッドスライディング。泥だらけでしばらく一塁から起き上がれなかった。「思ったより球が走ってなくて制球も甘かった。また藤川をグラウンドに立たせたかった。悔しいです」と目を赤く腫らした。

 開幕戦となった8日の大垣日大戦で藤川周遊撃手(3年)が、5回に突然、左肺気胸となり途中交代。そのまま西宮市内の病院に入院、手術した。前日13日から病院に外泊許可をもらいチームに合流。ベンチ入りし、守りだけでも出場するつもりだったが、全治1週間を経過していないためドクターストップ。2度の伝令を務めた。

 3番・遊撃と柱だった藤川は「(入院し)なんで自分だけ…と思いました。でも、みんなの頑張りを見てしっかり応援しようと。今、声枯れてます。仲間の存在の大きさに気づきました」と笑った。本来三塁手の桑原主将が慣れない遊撃を、代役の山口が三塁を懸命に守った。初戦3失策だったチームは無失策だった。

 この日も有田町から4000人超、初戦以上の応援団が駆けつけた。植松幸嗣監督(35)は「アルプスが力になった。ネット裏からも『また帰ってこい』と声援をいただいた。甲子園は懐が深い」と感激の涙を流した。開幕戦勝利→日本一という94年佐賀商、07年佐賀北には続けなかった。それでも「有田工」の名前は全国のファンにしっかり刻まれたはずだ。【石橋隆雄】