<全国高校軟式野球:中京2-0三浦学苑>◇8月31日◇決勝◇明石トーカロ

 軟式の松井も怪物だった。第59回全国高校軟式野球選手権大会決勝で、中京(岐阜)が三浦学苑(神奈川)を下し、2年ぶり7度目の優勝を飾った。延長46回から再開された崇徳(広島)との4日がかりの準決勝は、同50回に後藤敦也主将(3年)の決勝打などで3-0で決着がついた。50回を完封したエース松井大河投手(同)は、さらに決勝の4回途中から無失点救援。計1047球を投げて防御率0・12の驚異的な数字で胴上げ投手に輝いた。

 名門に2年ぶりの優勝を運んだ171センチ、67キロの鉄腕、松井が青空に両腕を突き上げた。甲子園大会決勝の日に始まったドラマは、最高の歓喜で完結だ。8月25日の1回戦河南(大阪)戦から7日で4試合、75回2/3を投げ、失点、自責はわずか1。1047球を投げ抜いての頂点だ。

 「チームのみんなが『頑張れ!!』と言ってくれた。応援してくれるスタンドの声も聞こえた。幸せな時間でした」

 圧巻は終盤だった。6回に相手の暴投で1点を先制し、7回は自身の投ゴロで2点目を奪った。8回以降は「残っている体力のすべてを使いました」と6者連続三振で優勝を決めた。

 午前中、もう1つの大役を果たしていた。28日から始まった準決勝崇徳戦は0-0のまま、4日目に突入。30日夜はカチカチになった腰、臀部(でんぶ)を船坂武士トレーナー(29)にマッサージしてもらい、はり、電気で張りをやわらげた。

 「こんなに張るのは、下半身をしっかり使って投げられているから」と自分を励まし、午前9時2分に延長46回から始まった一戦へ。5日連続のマウンド。先攻で、サヨナラ負けの危機と戦い続けた試合。平中亮太監督(33)が「これ以上頑張れとは言えない。ただ、もう1回ベンチに戻って来い、と祈るばかりでした」と明かした死闘だった。

 午前10時2分のゲームセットの約2時間半後。午後0時半から始まった決勝の4回1死二、三塁で、今度は救援登板。5回2/3を1安打だけに締め、Vを呼んだ。

 祖母勝子さん(72)が作る豚丼が好物で、体も気持ちも強靱(きょうじん)に育った。尊敬する広島前田のように、存在すべてで味方を励まし、優勝旗へと導いた。「できれば大学で野球を続けたい」と夢を語って日本一の8月を終えた。体は小さくても、松井は大エースだった。【堀まどか】

 ◆松井大河(まつい・たいが)1996年(平8)5月16日、岐阜県生まれ。名前の「大河」は、NHKの大河ドラマにちなんでつけられた。脇之島小1年から「脇之島クラブスポーツ少年団」で投手として野球を始め、南ケ丘中では軟式野球部に所属。中京では2年夏からベンチ入りし、今夏から背番号1。持ち球は直球、ツーシーム、カーブ、スライダー。好きな球団は巨人で、好きな選手は広島前田。50メートル6秒8。171センチ、67キロ。右投げ右打ち。

 ◆甲子園の大会通算投球数

 古い記録は不明だが、06年夏に大会最多記録の69回を投げた斎藤(早実)は948球。最近では98年夏準優勝の古岡(京都成章)は852球、今夏準優勝の今井(三重)は814球。春では13年の2回戦(広陵戦)で232球完投して物議を醸した安楽(済美)が、決勝まで5試合46回で772球を投げている。春の大会最多投球回は1934年近藤金光(享栄商)の60回(5試合)。