<全国高校野球選手権:八戸工大一8-4英明>◇7日◇1回戦

 東北勢の先陣を切って登場した八戸工大一(青森)は、初出場の英明(香川)を下し、5度目の夏で初勝利を挙げた。前回出場した98年は、1回戦で鹿児島実の杉内俊哉投手(現ソフトバンク)にノーヒットノーランを喫した。チームにとって、また当時、大学生コーチだった長谷川菊雄監督(33)にとっても雪辱の白星を手にし、最高のスタートを切った。

 エース中山勇也(3年)が、英明最後の打者の4番中内を三振で仕留める。ナインは歓喜の雄たけびを上げながら駆け寄った。待ちに待った甲子園の夏初勝利。12年前の「悪夢の敗戦」を知る長谷川監督は、ベンチ前でいつもと変わらぬスマイルで選手をねぎらった。「歴史の1ページを開いてくれた」。心の底からの言葉だった。

 扉を開けたのは中村晃大二塁手(3年)。2回裏2死から右前に放った安打は同校にとって20年ぶりになる「甲子園のヒット」。長谷川監督は言った。「(2回に)1本出たときに正直ホッとしました」。チームを重圧から解き放つ1本だった。4-4の8回裏1死満塁からは、走者一掃の右中間三塁打で「歴史的勝利」を引き寄せた。

 甲子園で勝っていないという話は選手間でもよく出ていた。藤田紘史主将(3年)は「ベンチの雰囲気が明るかったから、同点にされても大丈夫、と思っていた」と言う。中山は「初勝利はうれしい。味方を信じて投げることができた」。

 明るさと信頼。それこそが長谷川監督が作り上げたチームカラー。前回出場の98年、八戸工大4年生の時、教育実習で訪れた母校で学生コーチを買って出た。人付き合いがうまく、後輩の愚痴を聞き、居残り練習にも付き合った。鹿児島実との試合は、テレビのゲストとして甲子園球場の放送席で観戦。ノーヒットノーランでの敗北という無残な結果に、胸の内では泣きながら、最後まで笑顔を絶やさなかった。

 大学卒業後は民間企業に就職。笑顔と腰の低さを武器に、営業マンとして実績を積んでいた。00年、転機は突然訪れた。当時の監督だった山下繁昌現総監督(56)が「後を任せるのはあいつしかいない」と白羽の矢を立てた。何より明るさを絶やさない人間性を買った。「初めて書いた」(同総監督)という便せん3枚の“嘆願書”を長谷川監督が勤務していた会社に提出。やっと手元に置くことができた。それから8年余。コーチとして「八戸工大一監督としてなすべきこと」を伝えた。

 08年、監督に就任した長谷川監督は「クリーンアップにバントはさせない」という「山下イズム」を継承。この日の8回裏無死一塁でも、3番佐々木周平(2年)がバントの構えからバスターエンドランを敢行、試合を決める4点に結び付けた。

 ノーヒットノーランの屈辱から12年。八戸工大一は新たな歴史への第一歩を踏み出した。【湯浅知彦】