元オリックスのテリー・コリンズ監督(68)が、今季限りでメッツの監督を退任した。レギュラーシーズン最終戦の試合終了後、監督室で報道陣に囲まれ退任の意向と心境を口にする同監督の目には、光るものがあった。

「私が退任することが、球団にとってベストなこと。私はチーム第一主義の人間だ。時がきたということだ」と話し、自分を支えてくれた周囲に感謝の意を述べていた。

 コリンズ監督は1994年、アストロズで初めてメジャーの監督に就任し、96年シーズン終了後に解任。97年からエンゼルスの監督に抜てきされたが、99年に選手たちがフロントにコリンズ監督を解雇してくれと要望する騒動となり、シーズン29試合を残して辞任に追い込まれた。最初の2球団でいずれも長く続かなかったのは、激情型で選手らと衝突することが多かったためだ。オリックス時代もそれは同じで、07年から08年まで務めた後にチームを去っている。

 ところが2011年にメッツの監督に就任して以降はずいぶん丸くなり、選手ともいい関係を築くようになった。今季、最後の1カ月をメッツで過ごした青木宣親外野手も同監督について「よく話しかけてくれました。割と日本のときの話もしてくれたりもしますし、明るいですね」と話している。

 激情型で選手と対立したのも、退任発表で涙するのも、監督という仕事に思い入れが強すぎるためだろう。監督業が心底好きなので、辞めることなど頭になかったのかもしれない。引き際に苦労するタイプだと思う。退任を発表する数日前のコリンズ監督は「監督は続けたい。できればメッツで」と発言し、監督の椅子に執着しているようだった。本人は辞めたくないという気持ちが強かったが、年齢的、体力的にもう厳しいだろうというのが周囲の見方だった。本人も恐らく、体力的にきつくなっていることは感じていたかもしれないが、それでもやめる決心がつかない。退任という結論にいきつくまでには、オーナー陣、アルダーソンGMと話し合いを重ね、食事をしながらなごやかな雰囲気の中で、腹を割った会話も交わされたようだ。

 選手でもそうだが、このように自分で辞められない人というのは、周囲がうまく、幕引きの方向に持って行くのが、一番丸く収まるのかもしれない。コリンズ監督もそんな周囲の配慮を受け、退任後はメッツのGM特別補佐というフロントの職が用意され、球団に残ることになった。7年間メッツに所属し監督として終えられたことは、コリンズ監督にとって幸運だったのではないだろうか。

【水次祥子】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「書かなかった取材ノート」)