30年間にわたる平成の時代も、あと1週間足らずで終わりを迎えます。ひとくちに30年と言ってしまえばアッという間ですが、日米野球界にとっては、いろいろな意味で激動の時代でした。

平成に替わった直後の1989年。ミズーリ州セントルイスで行われた「メッツ-カージナルス」を左翼最上段の外野席から見たのが、初めてのメジャーリーグの試合でした。開始直前には、遊撃の定位置でカージナルスの名手オジー・スミスがバック転で観客を沸かせ、メッツのデーブ・ジョンソン監督(当時)が審判に暴言を吐いて退場処分を受けました。ホットドッグとポップコーンの香りが漂い、日本とは異なるスタンドとの一体感に、古き良き時代のベースボールを感じました。もちろん、その当時、日本人選手がこの舞台でプレーすることなど、想像するどころか、夢にも思いませんでした。

ところが、1995年(平6)、野茂英雄がドジャースと契約し、5月2日にメジャーデビューを果たしたことが大きな転機となりました。64年にマッシー村上が日本人として初めてメジャーでプレーした歴史は知っていましたが、当時、日本でテレビにかじりついて見ていた野茂のインパクトは、今でも忘れられません。

これから野球界は変わる、と確かに感じた瞬間でした。

その後、数々の日本人選手が海を渡ったことは、いまさら記す必要もないでしょう。米国流の戦略、トレーニング方法が輸入され、メジャーは夢ではなく、目標とされるようになりました。

野茂の挑戦から25年目。日本人メジャーの先頭を走り続けてきたイチロー氏が、現役を引退しました。そのイチロー氏は、東京での引退会見でメジャー球界の変化と日本球界への強い思い入れを口にしました。

「2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く別の違う野球になりました。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような…。これがどうやって変化していくのか」。

さらに、「これ言うと、問題になりそうだな」と断りつつも、コンピューターではじき出されたデータ偏重野球への抵抗感を示し、新しい時代への願いを込めました。

「(野球は)頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので、せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います」。

時代の変遷とともに、環境、常識も徐々に変わっていきます。ただ、イチロー氏が強調したように、「決して変わっていけないこと」「大切にしなくてはいけないもの」も、見逃してはいけないのでしょう。

イチロー氏と一緒に平成の球界をけん引してきた松井秀喜氏も、近年の野球には一定の距離感を覚えています。

「今の人達に普通になっているんであれば、それはしょうがないんじゃないかな。メジャーはそういう流れなんでしょうけど、どう行ってほしいとかはないです、時代だから。そのうち、僕が古いな、と言われるだけでしょう」。

松井氏の言葉通り、過去にとらわれすぎると「古い」と言われるのかもしれません。ただ、今や、メジャーの流行や傾向をむやみに取り入れる時代でもありません。

昭和から平成、そして令和へ-。

時代が移ろう今、後世まで大切に継承すべきものを、日本球界全体で考えるタイミングなのかもしれません。【四竈衛】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「四竈衛のメジャー徒然日記」)