大谷翔平投手が、ドジャース移籍後の通算100号本塁打をマークしました。それもアマチュア時代に野球、フットボール、バスケットボール、それに両打ちのゴルファーで鳴らし、21年に投打二刀流でプロ入りした、超アスリートの新人ババ・チャンドラー投手から、自己最速となる打球速度193キロ弾で決めました。

これで往年の強打者ゲーリー・シェフィールドの球団記録399試合を大幅に更新する、294試合での100号到達。ドジャースは伝統的に機動力野球、いわゆる「ドジャース野球」で一世を風靡(ふうび)。昔から球界を代表するホームランバッターがあまりいなかったとはいえ、投手有利な本拠地球場のチームにとって驚くべき偉業達成と言えます。

さらにチーム初所属から2年で100本に達したのは、伝説の本塁打王ベーブ・ルース(ヤンキース)、ルースの年間最多超え「61」で有名なロジャー・マリス(ヤンキース)、通算696本塁打を放ったアレックス・ロドリゲス(レンジャーズ)に続いて史上4人目。もし今季59本塁打を放てば、ルースの最多記録113本に並びます。

1900年代初頭、大リーグが「飛ばないボール」と呼ばれた時代、当時レッドソックスで元祖二刀流として活躍したルースは18年に11本塁打、翌年に29本塁打で2年連続タイトル獲得。当時1年間にこれほどホームランを打った選手は他になく、全米中の人たちは面白いように本塁打を打つルースの姿に熱狂しました。

1920年、ルースはヤンキースに電撃トレードと同時にバッターに専念しました。すると「飛ぶボール」の時代到来とともに54本と飛躍的にホームランを量産。これはア・リーグどのチームの本塁打数よりも多く、リーグ全体で14.6%の割合に相当。もし現在の数字に置き換えれば、何と1人で700本以上という、信じ難い本数になります。

さらに翌21年は自己記録を更新し、59本という驚異的なホームラン数を記録しました。全米中のファンが熱狂し、新聞記者たちは「バンビーノ」「サルタン・オブ・スワット」「強打の大臣」「驚異の強打者」「勝利のマハラジャ」「打撃の帝王」「強打の怪物」など、毎日ルースの記事に気の利いた見出しを付けようと競争したと言います。

しかし、22年に全米中の注目を集めるようになったルースは、すっかり慢心してしまいます。当時の初代コミッショナー、ケネソーマウンテン・ランディスが、シーズン中の地方巡業を禁じても無視。また、やじを飛ばしたファンを追いかけて観客席に乱入し、リーグ会長からも出場停止を命じられるなど、たびたび出場停止処分を宣告されました。

それによって、22年、ルースは110試合しか出場できず、ホームランもわずか35本止まり。辛うじてチームはリーグ優勝したものの、ワールドシリーズで打率1割1分8厘と悲惨な結果に終わり、またも同じニューヨークを本拠とする宿敵ジャイアンツに負けを喫しました。

当時、大金を派手に使って富や名声をひけらかす時代にあって、どのアメリカンヒーローよりも多くの金を稼ぎ、それを一銭も残らずルースは使いました。全く見知らない人に金を与えることもよくあったと言います。それと違って、大谷は派手な金銭感覚と無縁です。

はたして「現代のルース」大谷はルースの最多記録に並ぶことができるでしょうか? 仮に今季ルースの記録に並ぶことができなくても、来年チーム初所属から3年のルース148本、A・ロッド156本という記録は、間違いなく超えられると思います。

【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)

右越えに46号ソロ本塁打を放ち、ダイヤモンドを回る大谷(2025年9月2日撮影)
右越えに46号ソロ本塁打を放ち、ダイヤモンドを回る大谷(2025年9月2日撮影)