西武森慎二1軍投手コーチが28日午後0時10分に多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去した。

 寡黙だが、負けん気の強い人だった。力勝負でねじ伏せる投球スタイル同様、練習も決めたことは最後までやり通し、首脳陣にも先輩にも是々非々で主張する人だった。担当した02年はクローザーを豊田清(現巨人投手コーチ)に譲った。90勝してダントツのリーグ優勝に貢献した年だった。

 「豊田さんが安定して、ベンチの信頼を得られていた。僕は僕にできることをやります。だけど8回だけは誰にも投げさせない」

 守護神を明け渡した現実を聞くと、思い詰めるように答えた。8回に走者を出して左の強打者が来ても「オレが投げる」と首脳陣をにらんで続投を求めたこともあった。

 06年デビルレイズに入団したが、シーズン前に右肩脱臼の憂き目にあった。帰国後、山なりのボールしか投げられない森さんのキャッチボール相手をすることがあった。ダイナミックなフォームに恐怖感を覚えたが、ボールが来ない。それでも「確実に距離が延びているし、軌道も低くなってきた」と言い、必ずマウンドに戻るという意志を感じた。強い男だった。【01~02年西武担当・山内崇章】