阪神第34代監督に就任した矢野新監督に迫る「矢野という男」連載。第2弾は矢野新監督の高校時代に迫ります。

履正社(大阪)野球部の岡田龍生監督(57)は、桜宮(大阪)コーチ時代に矢野新監督を指導。見守り続けてきた恩師が、たっぷりと語ってくれました。

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矢野に初めて会ったのは、桜宮でコーチを始めた85年2月。矢野が高校2年になる直前です。そりゃ、ずばぬけた身体能力でしたね。どちらかというとキャッチャーは体が大きくて足が遅いというイメージですが、矢野はスマートやし肩が強いし足が速いし。運動能力が高いなという印象があった。後から聞いたら、中学時代はバスケットボールをやっていたと言う。体育の授業はなにをやらせても上手で、ずばぬけていたと思います。キャッチャーとしては、非常に落ち着いていて視野も広く、全てにレベルが高かった。

当時はいつ見てもしゃべっているという感じではなく、僕はあんまりしゃべらへんな、無口やなという印象のほうが強かった。背中で引っ張るタイプ。高校3年の時にはキャプテンになって、150人くらいの部員をまとめていました。やっぱり実力もあったし人間も真面目やし、周りの仲間からの信頼度が高かったからだと思います。

引退後に野球解説者の仕事もしていましたし、今はよくしゃべるようになった。「やっぱりコミュニケーションをとらないといけない。それが結構大変だった」と言っていましたから、プロの世界に入ってキャッチャーとして、必要に迫られて変わっていったんだと思います。

高校時代、プロ野球選手になれる素質は感じていましたが、指導者にというところまではあまり感じませんでした。大学を出てプロに入って、選手を引退した時に「いったん、外に出て勉強したい」ということを言っていました。解説者のような仕事をしたら、いろんな球団を見たり、たくさんキャンプも見に行ける。将来はやっぱり指導者を目指しているんだなと。そのために1回外に出たい、勉強したいという思いがあったようでした。

履正社の教え子の坂本(誠志郎捕手)からも聞きますが、試合が終わった後でも「なんであそこはあの球やったんか」とか、よく話をしているようです。コミュニケーションはかなり取っているんじゃないですか。打たれた、抑えたの結果論ではなく、プロセスを大事に特に言っているのだと思います。

いつ話しても謙虚。そこは変わっていません。基本はやっぱり真面目だし一生懸命やる。そういうところも評価されたのではないかと思っています。非常に大変な状況で監督を引き受けるんだという思いもあるし、今のこの状況でやれるのは矢野しかおらんかな、という思いもあります。今回2軍でやっていた野球を、1軍でどういうふうにやるのか、僕も楽しみにしています。2軍でやっていた走って、試みて、という野球を続けていってほしい。たぶん周りの目ばかり気にするなんてことは絶対ないと思いますが。矢野らしく、どんどん色を出してほしいなと思います。

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◆岡田龍生(おかだ・たつお)1961年(昭36)5月18日、大阪府生まれ。東洋大姫路-日体大を経て鷺宮製作所でプレー。その後、桜宮でコーチを2年務め、87年から履正社監督。97年夏に甲子園に初出場し、春7回、夏3回で16勝10敗。準優勝2回。教え子に岸田護、T-岡田(オリックス)、山田哲人、寺島成輝(ヤクルト)、坂本誠志郎(阪神)、安田尚憲(ロッテ)ら。保健体育教諭。