父、母、弟へ。今、伝えたい。巨人ドラフト1位の高橋優貴投手(八戸学院大)が1日に22歳の誕生日を迎えた。父の影響で小学3年から野球を始め、高校からは親元を離れた。大学3年の春、結果が出ずに将来を悲観。野球をやめようと思った。踏みとどまれたのは父幸司さん(50)母佳子さん(45)弟俊士(すぐる、11)くんの存在だった。1日、キャンプインという門出の日に、家族へ感謝の思いを手紙に込めた。

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高橋は素直な思いを便箋にしたためた。高校、大学と寮生活だった7年間、母の日には必ず手紙を送ってきた。その時からの便箋を、今でも手元に残している。応援してくれる家族へ思いをはせ、筆を執った。

一家の大黒柱の父幸司さんからは、男としての生き方を学んだ。国家機関で研究員として務める実直な父で「意見を持って、断る勇気を持て」「決めたことは最後までやり通せ」と事あるごとに教えられた。

少しおしゃべりで明るい母佳子さんからは、安心感を与えてもらった。「実家に戻ると、いつも変わらずに迎えてくれます。しゃべるのが好きで少しうるさいくらい」。会話が心のよりどころだった。

11歳の時に生まれ、兄弟げんかは1度もない俊士くんの存在が成長の糧になった。「自分が寮生活が長かった分、実家で過ごす時はすごく懐いてくれます。弟というより、息子のような感じ」と、しっかり者の兄になろうと思わせてくれた。

家族みんなに「ありがとう」の気持ちがあふれる。幸司さんと「今はまだ恥ずかしい。いつか一緒にお酒を飲みたい」と男同士の宴を。佳子さんには「初任給でブレスレットとか身につけるものをプレゼントしたい」と計画中だ。今年から少年野球チームでキャプテンになった俊士くんには「野球道具を買ってあげたい」と目を細めた。

この日、宮崎神宮に参拝し、いよいよキャンプインを迎える。「すべてが初めてなので、どんな時も緊張します。打者と対戦して、どんなところが通用して、通用しないのかが見えてくる。緊張しながらもう1度、頑張りたいと思います」。恩返しできるように、活躍できるように-。いつまでもお手本でいられるように-。真新しいユニホームに袖を通し、夢をかなえるプロ生活が始まる。【桑原幹久】

◆巨人へ入団した2月1日生まれの選手 有名なのは沢村栄治で、1917年(大6)2月1日に生まれた。ドラフト制後は68年9位の梅田邦三、72年7位の小川邦和らがいるが、ドラフト1位は高橋が初めて。他球団で2月1日生まれのドラフト1位には、82年阪神1位の木戸克彦、84年西武1位の大久保博元がいる。

◆高橋優貴(たかはし・ゆうき)年表

97年 0歳 2月1日、茨城・ひたちなか市に長男として誕生

03年 6歳 阪神がリーグ優勝。父が熱烈な虎党で金本グッズを収集するなど野球にのめり込む

05年 8歳 田彦小3年の時、勝田スポーツ少年団で野球を始める

09年 12歳 元巨人投手の原田明広氏が監督を務める友部シニアに入団

12年 15歳 元中日投手の若林弘泰監督が指揮をとる東海大菅生へ進学

14年 17歳 高校3年夏、西東京大会決勝の日大鶴ケ丘戦で2番手で登板。同点の9回にサヨナラ打を打たれた。高校3年間で甲子園出場はなし

15年 18歳 北東北大学リーグの八戸学院大へ進学。1年春からリーグ戦で登板

17年 20歳 3年春のリーグ戦で5試合に登板し、1勝止まり

18年 21歳 大学4年時は春秋合わせてリーグ戦で6勝。通算301奪三振で西武多和田が持っていた同リーグ記録を更新。ドラフト会議で巨人から1位指名を受ける