一直線に伸びた打球は、右翼席まで、あと数センチだった。7回、投手戦の均衡を破るフェンス直撃の先制二塁打を放った日本ハム平沼翔太内野手(21)は「もうちょっとでした。まだまだ力がないと思いました」。プロ初本塁打はお預けとなったが「次は、入れます」と、言い切った。

福井・敦賀気比高時代には、甲子園で大活躍した。3年時のセンバツでは、エースで4番としてチームを引っ張り、福井勢を悲願の初優勝に導いた。15年のドラフト4位。投手としてではなく、未経験の遊撃手としてだった。不慣れなポジションにミスは連発。それでも、必死に食らいついた。「今は、もう投手のことを考えることは、まったくなくなった」。三塁を守ったこの日、8回無死一塁で、詰まった打球に猛チャージをかけ三ゴロに仕留めた。担当だった熊崎スカウトは、平沼の「気持ちの強さ」を買ったという。中3から書いていたという野球日記には、こう記されていた。「<1>福井(の高校)で全国制覇<2>150キロを出す<3>プロに行く」。多くを実現した根性は、プロでも芽を出し、つぼみとなり、ゆっくりと開き始めている。

プロ初の決勝打は、2人の恩人にささげた。1人目は試合を観戦していた母の美佳さんへ「母が見に来てくれたので、ヒーローになれて良かった。もっと、もっとヒーローになれるよう頑張ります」。そして、もう1人は少年野球時代に師事した故小林繁氏(巨人、阪神)だ。「いろいろなことを教わったけど、ようやくここまで来られた。今日はいい報告ができる」。誰もが認めるガッツマンは、プロでも頂点だけを見つめている。【中島宙恵】

◆平沼翔太(ひらぬま・しょうた)1997年(平9)8月16日生まれ、福井県福井市出身。小学6年から中学まで、元阪神の故小林繁さんが総監督を務めたオールスター福井に所属。敦賀気比では春夏3度の甲子園に出場。3年春には全5試合を1人で投げ抜いてチームを北陸勢初の優勝に導くなど、甲子園では通算10勝2敗。15年ドラフト4位で野手として日本ハムに入団。179センチ、78キロ。右投げ左打ち。