今季限りで現役引退する選手の特集。


巨人阿部慎之助捕手(40)

今季限りでの現役引退を決断し25日、都内ホテルで引退会見。引退を決めた今の心境を問われ「突然だったのでみなさんをびっくりさせて申し訳ないなと。神宮の初戦に監督と話す機会がありまして、思っていることがお互い一致した。そこで決まりました。監督の意向をお聞きして、自分も同じことも思いましたし、僕の将来のことを僕が思っている以上に原監督が考えてくださっていたので、そこで納得できたということです」と経緯を説明。27日のDeNA戦(東京ドーム)で引退試合。「4番捕手」で先発出場し通算406号となる7号を放った。また沢村との「ポカリコント」も披露した

◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日、千葉県浦安市生まれ。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手で開幕戦に先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月、当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、リーグMVP、正力松太郎賞。17年に通算2000安打、今年6月には通算400本塁打を達成。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。180センチ、97キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸1億6000万円

引退会見で笑顔を見せる阿部(撮影・浅見桂子)
引退会見で笑顔を見せる阿部(撮影・浅見桂子)
巨人阿部の引退会見では、ユニホームが配られ、報道陣が背番号10をつけて臨んだ(撮影・浅見桂子)
巨人阿部の引退会見では、ユニホームが配られ、報道陣が背番号10をつけて臨んだ(撮影・浅見桂子)
巨人対DeNA 2回表DeNA無死、沢村(左)をたたこうとする巨人阿部(撮影・鈴木正人)
巨人対DeNA 2回表DeNA無死、沢村(左)をたたこうとする巨人阿部(撮影・鈴木正人)

ロッテ福浦和也内野手兼2軍打撃コーチ(43)

昨年、今季限りでの現役引退を発表。9月23日の日本ハム戦で引退試合。7番DHで先発し、4打数無安打もフル出場。DH解除で就いた一塁守備では美技を披露し、ロッテ一筋26年間の現役生活を締めくくった。「最高の野球人生だった。最後は体が勝手に反応した。もう少し打てると思ったが甘くなかった。これが今の実力かな」。試合後9度、宙に舞った。「自分がかなえられなかったことは、リーグ優勝と井口監督の胴上げ。後は若い選手に任せたい」

◆福浦和也(ふくうら・かずや)1975年(昭50)12月14日、千葉県習志野市生まれ。習志野ではエースで4番(甲子園出場なし)。93年ドラフト7位でロッテ入団。1年目の94年夏に打者転向。01年に首位打者を獲得して、01~06年に6年連続打率3割。18年9月22日西武戦で通算2000安打を達成した。ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞3度。183センチ、88キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸2000万円

引退セレモニーでナインから胴上げされる福浦和也(撮影・柴田隆二)
引退セレモニーでナインから胴上げされる福浦和也(撮影・柴田隆二)

阪神ランディ・メッセンジャー投手(38)

9月13日、今季限りでの現役引退を球団に申し入れ、了承された。来日10年目の今季も開幕投手を務めたが、3勝止まりで7月中旬以降は2軍調整が続き、右肩治療で米国への一時帰国もあった。前日12日の練習試合で5回4失点と打ち込まれて決意。NPB通算98勝の剛腕が完全燃焼した。18日、西宮市内のホテルで涙の引退会見。29日の中日戦(甲子園)で外国人選手では異例の引退試合を開催。最後の先発マウンドに上がる

◆ランディ・メッセンジャー 1981年8月13日、米ネバダ州生まれ。99年ドラフト11巡目でマーリンズと契約。05年メジャーデビュー。メジャー通算173試合で4勝12敗2セーブ、防御率4・87。10年マリナーズから阪神に入団し、救援で活躍したジェフ・ウィリアムスの背番号54を引き継ぐ。10年春先は中継ぎも、先発に定着し本領を発揮。最多勝1度、最多奪三振2度。今季推定年俸は3億5000万円。198センチ、109キロ、右投げ右打ち

引退会見で感極まり涙するメッセンジャー(撮影・上山淳一)
引退会見で感極まり涙するメッセンジャー(撮影・上山淳一)

阪神横田慎太郎外野手(24)

脳腫瘍からの復帰を目指していたが9月22日、西宮市内の球団事務所で会見し、今季限りでの引退を表明。13年ドラフト2位で入団し、3年目の16年に開幕スタメンで1軍デビュー。将来の主軸と期待されたが、17年2月に病気が判明。半年間の闘病から復帰し、18年には育成契約を結んで再起を目指してきた。後遺症による視力への影響で、涙ながらに引退を決断した。球が二重に見え、打撃と守備で影響があった。「1球もボールがきれいに見えなかった。毎日、苦しかったですし、これが来年も一緒だったらと。もう本当につらかったので、自分で(引退を)お願いしました」。26日、鳴尾浜の2軍戦で引退試合。8回2死二塁の守備から、中堅で途中出場。背番号「124」で守備位置に就き、5番市川の中越え適時二塁打をそつなく処理。2死二塁で続く6番塚田の当たりは中堅前に飛んだ。横田は素早く打球を捕球すると、本塁へノーバウンドのレーザービームで二走の生還を阻止。ドラマのようなビッグプレーにベンチ、スタンド、ブルペンまでが総立ちでヒーローを祝福した

◆横田慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身。鹿児島実から13年ドラフト2位で阪神入り。入団直後に垂直跳び80センチという球界屈指の数字を記録し、注目される。3年目の16年3月25日開幕の中日戦に「2番中堅」で先発して1軍戦初出場。実働はこの1シーズン。18年から育成契約となっていた。父真之さんはロッテなどに在籍した元外野手。187センチ、94キロ。左投げ左打ち。

引退会見を終え、記者団の質問に感極まり涙する阪神横田(撮影・上山淳一)
引退会見を終え、記者団の質問に感極まり涙する阪神横田(撮影・上山淳一)
横田(上)は、右から中谷、北條、高山の作る騎馬に乗りあいさつへと向かう(撮影・上田博志)
横田(上)は、右から中谷、北條、高山の作る騎馬に乗りあいさつへと向かう(撮影・上田博志)

阪神高橋聡文投手(36)

9月25日、今季限りでの現役を引退を発表し会見。通算531試合登板の左腕も今季は左肩の不安もあって1軍登板ゼロ。「自分でもすごく(来年も)やりたかったんですが、客観的に考えた時に厳しいな、と。(体が)良くなる要素もちょっと少なくなってきたなと。30年ずっと野球をやってきたので、辞めると最後に言うのは怖かった。決めたら楽になりました」。中日時代の10年に63試合登板で浅尾との最強セットアッパーコンビを形成し、リーグ優勝の原動力に。15年オフに国内FA権を行使して阪神移籍後も、16、17年に2年連続で50試合登板するなど中継ぎの一角として活躍した

引退会見を行った高橋聡(左)にサプライズで花束を渡す福留(撮影・加藤哉)
引退会見を行った高橋聡(左)にサプライズで花束を渡す福留(撮影・加藤哉)

オリックス岸田護投手(38)

9月20日、今季限りでの現役を引退を発表し会見。「率直にスッキリしています。悔いがないといえばゼロではないですけど、やりきった気持ちはあります」。岸田は05年に大学生・社会人ドラフト3巡目で入団。オリックス一筋14年間で先発、中継ぎ、守護神などを任され、432試合に登板。44勝30敗、63ホールド、63セーブを記録した。自身のプロ野球人生について「そんなに声を大にして誇れる数字は持っていないですけど、楽しかった。すごく野球に向き合えました」と振り返った。今季チーム最終戦の29日ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)の試合後に引退セレモニーが行われる。引退後については「はっきりとは決まっていないので、まだわかりません」

引退を発表したオリックス岸田(撮影・渦原淳)
引退を発表したオリックス岸田(撮影・渦原淳)

広島永川勝浩投手(38)

広島は9月6日、球団最多セーブの守護神・永川の現役引退を発表。1年目から球団新人として最多25セーブを記録し、球宴にも出場。翌04年は不調もあり先発を経験。再び中継ぎとして14ホールドをマークした05年を経て、06年からは守護神を任せられ、07年から3年連続で30セーブを記録した。だが、10年以降は度重なるケガに悩まされた。10年4月に右内転筋を痛めると、復帰して間もない6月に再発。長期離脱を余儀なくされた。13年は開幕直後に右中指けんしょう炎で戦列離脱。17年は左膝痛の影響から5年ぶり2度目のシーズン1軍登板無しに終わり、同年10月に左ひざクリーニング手術を受けた。今季は2軍で18試合に登板し、0勝3敗1セーブ、防御率6・19。23日、マツダスタジアムでの中日戦で引退試合。04年10月10日横浜戦以来15年ぶりに先発。1回、中日1番の大島に対して141キロ直球を続けて、1-1。最後も141キロ直球で一ゴロに打ち取った。試合後のセレモニーでは支えてくれた家族の姿に思わず涙を見せたが「たくさん応援したので大量の汗が出た」と最後まで認めなかった

◆永川勝浩(ながかわ・かつひろ)1980年(昭55)12月14日生まれ、広島県出身。広島新庄から亜大を経て、02年度ドラフト自由獲得枠で広島入団。1年目から救援投手として活躍し、25セーブをマーク。07年からは3年連続で30セーブ以上を挙げた。通算165セーブは球団記録。188センチ、98キロ。右投げ右打ち

引退セレモニーのあいさつで涙ぐむ永川(2019年9月23日撮影)
引退セレモニーのあいさつで涙ぐむ永川(2019年9月23日撮影)

広島赤松真人外野手(37)

9月7日、広島は胃がんからの1軍復帰を目指していた赤松が今季限りで現役引退することを発表。16年12月に胃がんを患っていることを公表し、17年1月に手術。1軍復帰に向けて戦い続けていた。22日、マツダスタジアムで現役引退会見。「ここまでやれたのはみなさんの声援のおかげ。感謝したい」。「ラスト1年」と覚悟を決めていた。1月の自主トレでは「戦力になれないのであれば(引退の)覚悟はあります」と話した。自らのパフォーマンスを上げようと、必死に戦った。それでも、若手を使うチーム方針もあり、今季2軍成績は出場49試合で33打数4安打、打率1割2分1厘、0本塁打、3打点、2盗塁。昨年より成績が落ちた。「とっさのプレー、相手に合わすプレーが0コンマ何秒遅れると致命傷になる。一番、力が衰えた部分」。ユニホームを脱ぐ決意が固まったという。がん患者となったことについて「生きているだけでいいんだということが、そこがメインだった。野球は二の次ではないですけど、死んでしまったらどうしようもない。ふつうに生きていく、ということを感じた」と話した。27日の中日戦で引退セレモニー。3年ぶりに1軍ベンチ入りし9回にセンターを守り現役生活にピリオドを打った

◆赤松真人(あかまつ・まさと)1982年(昭57)9月6日生まれ、京都府出身。平安(現龍谷大平安)から立命大を経て04年ドラフト6巡目で阪神入団。07年オフにFA移籍した新井貴浩の人的補償で広島へ移籍した。外野守備の名手として存在感を示し、10年にはゴールデングラブ賞を受賞。今季はウエスタン・リーグで46試合に出場し、28打数4安打、0本塁打、3打点、打率1割4分3厘、2盗塁。182センチ、70キロ。右投げ右打ち。

笑顔で引退会見を行う広島赤松真人(撮影・前岡正明)
笑顔で引退会見を行う広島赤松真人(撮影・前岡正明)
広島対中日 引退セレモニーでナインに胴上げされる広島赤松(撮影・栗木一考)
広島対中日 引退セレモニーでナインに胴上げされる広島赤松(撮影・栗木一考)

ヤクルト館山昌平投手(38)

9月9日、現役引退を発表。球威と制球力を両立させたサイドハンドとして、長く先発の軸として君臨。たび重なるケガを乗り越えてプロ17年目を迎えたが、今季は登板は6月の1試合にとどまっていた。度重なる肩や肘のケガを受け止め、手術とリハビリを何度も乗り越えてきた。13日に行われた引退会見で「今シーズンをもちまして、現役を退くことをここにご報告させていただきます。普段使わない言葉なので、難しいですね」と笑顔を見せた。「悔いなく、17年間、試合に向けてやってきたので、後悔はありません」と振り返った。21日の中日戦(神宮)で引退試合。先発して中日の1番大島と対決。初球は143キロのボール。その後は2球ストライクを続け、4球目の144キロ直球で二ゴロに打ち取った

◆館山昌平(たてやま・しょうへい)1981年(昭56)3月17日、神奈川県厚木市生まれ。日大藤沢-日大を経て02年ドラフト3巡目でヤクルト入団。08年最高勝率、09年最多勝。08~12年まで5年連続で2桁勝利。13年にトミー・ジョン手術を受け、14年は登板なし。15年は6勝を挙げてリーグ優勝に貢献し、カムバック賞。今季推定年俸2400万円。181センチ、98キロ。右投げ右打ち

引退会見で晴れやかな表情を見せるヤクルト館山(撮影・山崎安昭)
引退会見で晴れやかな表情を見せるヤクルト館山(撮影・山崎安昭)
ヤクルト対中日の引退試合で、1人限定で先頭打者大島に投げるヤクルト先発の館山(撮影・柴田隆二)
ヤクルト対中日の引退試合で、1人限定で先頭打者大島に投げるヤクルト先発の館山(撮影・柴田隆二)

ヤクルト畠山和洋内野手(37)

9月9日、現役引退を発表。ヤクルト一筋19年目。下半身のコンディション不良を抱えて臨んだ今季は1軍に登録されることがなく、イースタン・リーグでの指名打者での出場にとどまっていた。15年は、リーグ優勝を果たしたチームの主砲として打線をけん引。通算100本塁打を達成し、105打点を挙げて打点王にも輝いた。豪快な見た目の一方、守備では繊細なプレーが持ち味。巧みなハンドリングで、12、15年には一塁手でゴールデングラブ賞を獲得。13日、37歳の誕生日に引退会見。「37回目の誕生日パーティーにお集まりいただき、ありがとうございます」とおどけた。「かなり苦しい時期を長く過ごしましたけれども、やめると決めてからはすっきりした。野球を楽しむことができていると思う。幸せな野球人生だった」と話した。21日の中日戦(神宮)で引退試合。6回、4番バレンティンの代打で出場。中日柳の142キロ直球を打ち上げたが、右前にポトリ。937安打目とした。「今までで一番冷静に打席に入れた。(4番は)すごいうれしかった。明日からの人生の方が長いので、成功できるように切り替える」

◆畠山和洋(はたけやま・かずひろ)1982年(昭57)9月13日、岩手県花巻市生まれ。専大北上では甲子園に2度出場し、高校通算62本塁打。00年ドラフト5位でヤクルト入団。4年目の04年に1軍初出場。。15年には26本塁打、105打点で打点王。ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞2度。オールスター出場2度。今季推定年俸4000万円。180センチ、96キロ。右投げ右打ち

引退会見で晴れやかな表情を見せるヤクルト畠山(撮影・山崎安昭)
引退会見で晴れやかな表情を見せるヤクルト畠山(撮影・山崎安昭)
試合後、引退セレモニーで家族と抱き合う畠山(左)と館山(撮影・柴田隆二)
試合後、引退セレモニーで家族と抱き合う畠山(左)と館山(撮影・柴田隆二)

ヤクルト寺原隼人投手(35)

9月17日、今季限りでの引退を発表。昨季ソフトバンクを自由契約となり、4球団目となるヤクルトに加入。開幕ローテーション入りも果たし、1軍では4試合に先発。2勝1敗の成績だった。「ファンの皆様、18年間応援していただき、ありがとうございました。18年間のプロ野球生活の中で、スワローズには一年間と短い期間でしたが、1年でも長く野球をやりたいと思っていた私に、チャンスを与えてくれたスワローズには感謝しかありません。本当にありがとうございました」とコメント

◆寺原隼人(てらはら・はやと)1983年(昭58)10月9日、宮崎市生まれ。日南学園で当時高校生最速の158キロを計測。01年ドラフト1巡目でダイエー入団。横浜、オリックス、ソフトバンクを経て今季からヤクルトでプレー。179センチ、86キロ。右投げ右打ち

4月11日の広島対ヤクルト 今季初勝利を飾ったヤクルト寺原(中央)は「一球入魂」と記された宮島のしゃもじ型お守りを手にしたつば九郎(右)、つばみと笑顔でポーズ(撮影・栗木一考)
4月11日の広島対ヤクルト 今季初勝利を飾ったヤクルト寺原(中央)は「一球入魂」と記された宮島のしゃもじ型お守りを手にしたつば九郎(右)、つばみと笑顔でポーズ(撮影・栗木一考)

ヤクルト三輪正義内野手(35)

9月17日、今季限りでの引退を発表。今季はイースタン・リーグに69試合に出場。打率2割7分2厘の成績を残していた。ここまで1軍登録はなかった。四国アイランドリーグ・香川から07年大学生・社会人ドラフト6巡目で入団した。独立リーグ出身選手としては昨年、初めてFA権を取得。「私がこの年までこの身体で野球を続けられたのは、今まで私に携わってくれた全ての方々のおかげだと思っています。その方たちのためにも、これからの人生が大事になってくると思います。胸を張って生きていけるように、これからの人生を大切に過ごしていきたいと思います」とコメント。今後は、指導者への道を希望している模様。22日の巨人戦で引退セレモニー。大雨の中、帽子とスパイクを脱いで一塁から順番にブルーシートの上でヘッドスライディングを披露した

◆三輪正義(みわ・まさよし)1984年(昭59)1月23日生まれ、山口県下関市出身。下関中央工-四国IL・香川を経て07年大学生・社会人ドラフト6巡目でヤクルト入団。主に代走、守備固めの役割を担い、15年には自己最多の87試合に出場してリーグ優勝に貢献。通算418試合、62安打、0本塁打、16打点、23盗塁、打率2割3分6厘。168センチ、70キロ。右投げ左打ち

引退セレモニーでヤクルト三輪は本塁へ水しぶきを上げながら2度目のヘッドスライディング(撮影・山崎安昭)
引退セレモニーでヤクルト三輪は本塁へ水しぶきを上げながら2度目のヘッドスライディング(撮影・山崎安昭)

日本ハム実松一成捕手(38)

9月17日、今季限りでの現役引退を発表。98年ドラフトで松坂(現中日)の外れ1位で日本ハムに入団。06年の開幕直前にトレード移籍した巨人でも約12年間プレーし、17年オフに選手兼任コーチとして日本ハムへ復帰していた。「もう素直にやりきったという感じですね。自分のパフォーマンスも落ちてきました。これが限界なのかなと」と決断の理由を明かした。23日、2軍本拠地の千葉・鎌ケ谷での今季最終戦となったイースタン・リーグ巨人戦に「1番捕手」でスタメン出場。二塁失策で出塁し、代走を送られ交代。涙を流してファンにあいさつし、日本ハム、巨人でのプロ21年間にピリオド。試合後は両軍ナインの手で胴上げされた。26日には札幌市内の球団事務所で引退会見。「ボロボロになるまで現役にはこだわりたいと言っていましたけど、実際に体の方も試合に出ると痛みが出たり、回復もなかなか。これが、ボロボロってことかな」。オリックス戦の試合前には引退セレモニーを行い、同期入団の建山義紀氏(43)森本稀哲氏(38)から花束が贈られた。試合には引退選手特例で出場選手登録されてベンチ入り。出場機会はなかったが、試合後にチームメートから本塁付近で10度、胴上げされた

◆実松一成(さねまつ・かずなり)1981年(昭56)1月18日、佐賀県出身。佐賀学園3年時に夏の甲子園に出場し、3回戦でPL学園に敗戦。高校全日本では松坂(現中日)とバッテリーを組んだ。98年ドラフト1位で日本ハム入団。球団史上初の1位指名捕手となった。06年3月、岡島との1対2トレードで古城とともに巨人移籍。07年オフに日本ハムへ復帰した。177センチ、89キロ。右投げ右打ち

現役最後の試合を終え、両チームの選手から胴上げされる日本ハム実松2軍育成コーチ兼捕手(撮影・田中彩友美)
現役最後の試合を終え、両チームの選手から胴上げされる日本ハム実松2軍育成コーチ兼捕手(撮影・田中彩友美)
日本ハム対オリックス 引退セレモニーで「まりもっこり」のかぶり物をつけた森本氏に「お姫様だっこ」される実松(撮影・黒川智章)
日本ハム対オリックス 引退セレモニーで「まりもっこり」のかぶり物をつけた森本氏に「お姫様だっこ」される実松(撮影・黒川智章)

日本ハム田中賢介内野手(38)

昨年12月に19年シーズンでの現役引退を発表。本拠地最終戦となる9月27日オリックス戦(札幌ドーム)で引退試合。「2番DH」で先発出場し4打数2安打1打点。9回は志願して二塁守備にも就いた。通算1499安打で、節目には1本及ばず。「いつも、ちょっと足りない野球人生だった。なかなか1番になれなかった」

日本ハム対オリックス 引退セレモニーで子どもたちから花束を受け取る田中賢(撮影・黒川智章)
日本ハム対オリックス 引退セレモニーで子どもたちから花束を受け取る田中賢(撮影・黒川智章)
日本ハム対オリックス 引退セレモニーでナインに胴上げされる田中賢(撮影・黒川智章)
日本ハム対オリックス 引退セレモニーでナインに胴上げされる田中賢(撮影・黒川智章)