故郷に錦だった。今年1月野球殿堂入りを果たした元横浜(現DeNA)監督・権藤博氏(80=野球評論家)の「野球殿堂入り祝賀会」が23日、出身地の佐賀県鳥栖市内のホテルで、220人を集めて盛大に開催された。

鳥栖小で6年2組、鳥栖中でも同級生として過ごした宮原■忠(ひろただ)さん(80)は「大人しい子供だったが、野球のレベルは高校で伸びましたね」と振り返った。

鳥栖中時代のチームメートで外野手だった桑原正隆さん(80)は「中学時代の権藤はサードでした。でも1年のときは2人ともネット裏の田んぼに入って球拾いをしていた」となつかしんだ。

また鳥栖高で1年下の後輩、古澤文雄さん(80)はブルペン捕手として、野手から投手に転向した権藤氏の相手役だった。「シュート気味の球でしたが、よく投げていたのを覚えています」と話した。

鳥栖中から鳥栖高に進んだ権藤氏だが、高3の夏に準決勝で佐賀商に惜敗して甲子園出場の夢を絶たれる。その後、社会人ブリジストンタイヤを経て、中日入りした。

プロ1年目の61年に35勝、投球回数の429・1イニングは、セ・リーグ記録。62年30勝で最多勝。『権藤、権藤、雨、権藤…』と流行語になる大車輪だった。中日、近鉄、ダイエーで投手コーチ、98年横浜監督としてリーグ優勝、日本一を遂げた。

指導者として「先発」「リリーフ」の分業制を確立した。「投げすぎはダメ。でも投げる必要があるときは投げなくちゃいけない」が持論。17年WBC日本代表投手コーチを努めるなど球界に貢献してきた。

この日は鳥栖高の後輩で昨季までセ・リーグ3連覇を遂げた前広島監督・緒方孝市氏(50)も駆けつけた。99年球宴初出場が権藤監督の推薦だったエピソードを明かしながら「監督だった5年間、投手サイドから、また監督目線でアドバイスをいただきました」と感謝した。

佐賀北出身で、ダイエーなどでプレーした岸川勝也氏(54)もあいさつ。山口祥義佐賀県知事から表彰状、、橋本康志鳥栖市長からガラスのタテが贈呈された。権藤氏は「自分で自分をほめてやりたいです」と挨拶。緒方氏に向かって「鳥栖高から2人も優勝監督がでました。次の殿堂入りは緒方ですから」といって会場を沸かせた。【寺尾博和】

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