西武辻監督が、恩師である野村克也氏との思い出を語った。11日の朝、宮崎・南郷で訃報を聞き言葉を失った。

現役時代、西武を戦力外となった96年にヤクルト入りし3年間、同氏のもとでプレー。「ID野球」と言われ、試合前のミーティングでは、カウント別に分かれた資料を4ページ分ノートに書き込んだ。

ただ「俺は正直、ID野球は分かんなかった」。しかし1年目、見事に再生を果たす。

今でこそ禁止されているが、当時コースを予想した同氏がメガホンでさけんでサインを送ることがあった。「あれでどれだけ古田や池山がホームランを打ったか。でも、俺は一向に言われなかった。だから1回、野村さんに聞いたんだよ」。返ってきた言葉は「お前はそういうバッターじゃない」だった。「そういう風に認めてもらえているのかなって。まあ、きっとタイプが違ったんだろうね。俺は真っすぐ待ちの、変化球合えば打ちますってタイプだったから」。96年に打率3割3分3厘で自己最高を記録。野村流の再生術で能力を引き出された。

昨年6月、甲子園での交流戦で試合前にベンチでハッパを掛けられた。「いろいろ教えていただいたことがつい先ほどに感じる。サッチー(夫人の野村沙知代氏)と会っているのかな」と悼んだ。【栗田成芳】