日本ハム2軍キャンプ地の沖縄・国頭で右肘手術からの復活を目指す清宮幸太郎内野手が、野村克也氏との思い出を振り返った。

北砂リトルで世界一となった清宮は、その翌年、早実中2年の時に、雑誌「ブルータス」で野村氏と対談した。日本を代表する写真家、篠山紀信氏の撮影では、スーツ姿の同氏と向き合いバットを構えた。「言葉の1つ1つが胸に刺さった。ただならぬものを感じました」。取り出したスマートフォンには、当時の掲載誌の写真があった。

不思議な縁がある。父で日本ラグビー協会副会長を務める克幸氏の「克」の字は、「野球がうまくてドラフト候補だったらしい」という父方の祖父が命名する際、ファンだった野村氏から一文字をもらったと聞かされた。

球界で数々の金字塔を打ち立てた故人との対談で一番印象に残ったのは、「焦らず早く」という言葉だ。高校通算111本塁打を引っさげて18年に鳴り物入りでプロ入りしたが、相次ぐ故障で満足のいく成績を残せていない。7年前に掛けられた一言が、現在の自分自身にも突き刺さった。

右ひじに不安を抱え、まだスローイングは制限されたまま。それでもこの日、フリー打撃では51スイング中、13本の柵越えを放つなど、打撃面に問題はない。当面の目標は、15日紅白戦(国頭)での実戦復帰だ。「(プロで)しっかりとした成績を残してから、もう1度、顔を合わせたかった。すごく寂しいです」。悲しみを胸にしまい、故人のような偉大な野球人になるべく、歩みを進める。【中島宙恵】